2005年2月27日

アレキサンダー

「アレキサンダー」を観てきました。

こういう歴史上の人物をあつかった映画はやる気や勇気をもらったりするようなものになってもいいんだけど、みているうちに心に穴があいて風がふきぬけていくようなむなしさを共感させられる屈折がこの映画にはあります。
それは戦争のむなしさではありません。とり憑かれたようにアレキサンダーは情熱的に行動しますが、世界を手にするとか、すべての民族を平等にとか、神話の英雄のようにとか、理想を口にするけれど、口実にしているだけで、どれも信じていないようです。
両親の嫌いな部分に自分が似てきたりして嫌悪し動揺するが、それからの逃避がアレキサンダーを突きすすませているのかといえば、彼を怒らせたり落ちこませたりするネガティブなスイッチにはなっているものの、行動の原動力ではなさそう。

映像は戦争の場面がとくにすばらしく、無数の槍と剣と騎馬が群れなしててうごきまわります。圧巻です。

2005年2月21日

網野善彦

4087202690.09.MZZZZZZZ.jpeg網野善彦さんを知ったのは教育テレビでやっていたNHK人間大学という番組でした。網野さんは1996年の1月から3月まで「日本史再考」のタイトルでお話をしていました。
「日本は単一国家ではなかった」
「日本は島国だからという孤立イメージ(島国根性、独自文化)があるが、島国というのはけして孤立しているものではない」
「百姓=農民ではない」
「一向一揆の主力は都市民で、貧しい農民の反乱ではなかった」
など、静かだけれども確実な手さばきで、新しい歴史像をみせてくれました。とてもたのしい番組でした。

それから、網野さんの本を読もう読もうと思ってきたけれども、気がつけば一冊も手をつけてきませんでした。

網野善彦さんは2004年2月27日に亡くなられました。

網野さんの甥にあたる中沢新一による網野善彦さんの人物像と彼が考えていたことが書かれた本が「僕の叔父さん 網野善彦」です。中沢新一さんは宗教学者として有名です。現代思想の新しい流れにいる人です。
権力が手を触れられないアジール(避難地)。幕府など権力の発展史・盛衰史としてしか描かれてこなかった歴史をアジールの立場からみる。そうすることがどうして必要なのか。そうするとどういう歴史がみえてくるのか。
そして、もうひとつ天皇制について。なくせる機会がなんどもあったのにかかわらず、なぜ天皇制はつづいてきたのか。すべては天皇を維持する・高めるためめの発展史だという物語を語る戦前の皇国史観を批判してできあがってきたはずの歴史観でもその謎解きはできませんでした。天皇制への挑戦。
アジール、天皇制、このふたつを主要なテーマとしてとりあげています。

また、中沢さんの父親がコミュニストであったということから、戦後まもなくのコミュニストがどういった人間だったのかがわかるのもおもしろいところです。

"僕の叔父さん網野善彦"
中沢新一
集英社新書
693円
Amazonアソシエイト

ハリウッド呪怨

THE JUON 呪怨」を観てきました。

近づくものはすべて怨念(おんねん)に巻きこまれてとり殺される、というのがコンセプト。怨念(おんねん)には原因もありますが、原因を知ったところで、その呪いが消えるわけもなく、際限なく血を吸いつづけていきます。良くも悪くもただそれだけです。
この映画が、呪怨シリーズのなかではいちばん原因がわかりやすくなっていると思います。

俊雄くんは、やっぱり笑ってしまいました。なんか俊雄くんがでてくると安心(映画では逆、彼が予兆、もしくは警告)。
ああ、俊雄くん、ちんこみえてるよ、といいたくなっちゃった、

2005年2月13日

暗黒童話

4087476952.09.MZZZZZZZ.jpeg片目と記憶を失った女の子、菜深(なみ)。眼を移植されたときからふしぎな映像を見はじめる。それは眼の元の持ち主の記憶。……菜深はやがて地下室に監禁されている少女の映像を見る。大きな屋敷の地下室の天窓から頭だけだして袋につめられた少女のすがたがあった。袋は小さく、少女の手足がそのなかに入っていることなどありえないことだった。大きな瞳はまばたきを返した。物音に気づいた記憶の持ち主はその場から逃げさり、道を走ってきた車にひかれてしまう。ほかには誰も知らない事実。菜深は真実を知ろうとその場所へ旅立つ。

菜深は、いぜんはとても優秀で人柄もよい女の子だったけれど、記憶を失ったあとは勉強も運動もできず人づきあいも苦手な女の子に変わってしまいます。母親はこんな娘ではないといらいらして、さいごには口もきかなくなってしまいます。和解なし、完全拒否はリアルに感じられました。
菜深は家を出て、ちょっとずつ調べていった眼の持ち主が住んでいたところ、映像にみえる場所へと旅にでます。この菜深の物語です。

誘拐犯がでてくる場面が怖いです。「GOTH」にでてくるタイプの人間です。おどろおどろしく書かず、淡々とした描写に恐怖がこみあげてきます。正直いって、この人間を描ける、作者への恐怖です。同時に、菜深も描かれているので、そのまま作者像にはなりませんでしたが。

仕掛けはあいかわらずうまいです。手品のような、ほかへの注意の誘導が上手ですね。大がかりではない仕掛けも、それだけで終わらず、さらにもうひとつひかえているので満腹感がえられます。

"暗黒童話"
乙一
620円
集英社文庫
Amazonアソシエイト

ボーン・スプレマシー

ボーン・スプレマシー」を観てきました。

ストーリーは、インドの田舎町恋人とともに静かに生活していたボーンは、正体不明の男に襲われ、恋人の命をうばわれてしまう。ボーンは、CIAの極秘プロジェクトによって育成された暗殺者だったが、さいごのミッションを失敗した際に記憶を失い、自分が誰なのか、これまでなにをしてきたのかもおぼえていなかった。CIAがまた自分を追ってきたのだと判断したボーンは決着をつけることを決意する。

「ボーン・アイデンティティー」の続編で、予告にもあったマリーの死は前作を観ているとかなりショックです。

ボーンを狙ったのはCIAではなく、かつてボーンがおこなったミッションのひとつに関係するのだなと序盤でわかり、さてそれがなんなのかという謎解きでストーリーはひっぱられていきます。
アクションシーンは派手でリアル。ほかの車を巻きこんだ迫力あるカースタントシーンは必見です。

かなり、おもしろいです。平均点は楽々こえています。でも、マイナス点もあります。これがなければ映画史にのこるような作品となったかもしれません。

マイナス要素は、アクションシーンのいくつかで画面が揺れすぎ、しかもカットが変わりすぎ(人物の配置が換わる)るので、なにが起こっているのかわかりにくく追ってみていくのに疲れました。ゲームの3D酔いみたいな状態になります。
もうひとつは、謎解き。なにが起こっていたのか、なんですが、これが予想できる範囲におさまってしまいます。もったいない。もうひとひねり、もうひと展開あると「おおーっ!」となったはずです。真相にせまっていく過程がスリリングなだけに残念です。

2005年2月12日

ボーン・スプレマシーの前作

ボーン・スプレマシーの前作「ボーン・アイデンティティー」を観ました。

ちょうどTSUTAYAのカードが更新時期だったのでレンタルしてきました。
前作観ていないのをわざわざ観るというのは好きではありません。そういう用意周到なのは勉強と仕事だけにしなさい、とわたしはいいたい(勝手にいえばー)。

「ボーン・アイデンティティー」おもしろかった。出だしは安っぽくってちょっと不安になったけど、あとはもう夢中で観ていられました。アクションもキレがあるし、ときには、うおぅというところまでやってくれます。

でも、これをみると登場人物に思い入れができるから、「ボーン・スプレマシー」の予告にでてきた女のひとの死の場面がつらくなるよ〜。

2005年2月10日

ATOK2005(の辞書) 第一印象

「ATOK2005(電子辞書セット)」とそれでつかえる「共同通信社記者ハンドブック辞書」と「角川類語新辞典」がとどいたので、その第一印象をざっと書いてみます。


共同通信社記者ハンドブック辞書はこんなかんじ。
kyodo-jisyo.jpg
「たくあん」を「沢庵」に変換しようとすると「《記:注意》」と変換中の文字の右に表示されます。
変換候補をだすと上記のように表示され、書き換えが推奨される候補が「→」がついて表示されます。この場合、「沢庵」と書くのは一般的でないと指摘されているわけです。
ふつう文章を書く場合、ふだん自分がつかっている「生きている」言葉であるのなら、その表記が一般的でないとしても、問題はないと思います。ただ、たくさんのひとに読んでもらいたいと思っているのなら問題です。自分はこの書き方で読めるからこの書き方でいいのだ、といっても、そうじゃないというひともいて、そういうひとたちに自分の表記を押しつけて、読むのに苦労を強いているわけです。たくさんのひとに読んでもらいたいといっておきながら、やっていることは逆さまです。
その言葉をつかうかつかわないかの、いい物差しのひとつになると思います。
なにかの集まりや地域のための情報紙をつくっているひとなら、かなり役に立つ道具になるはずです。

辞書の意味と、同音の単語の用例の一覧の切り替えが[END]キーを押すだけでできます。
「かく」を変換してみるとつぎのようになります。
辞書の意味 同音単語の用例


角川類語新辞典はこんなかんじ。
「辞書」を連想変換([Ctrl]+[Tab]キー)しました。
辞書 字典
もともと「日本語使いさばき辞典」という連想変換用の辞書が標準で入っていますが、違いを判別するための「意味」が書いてありません。
この類語辞典で、ばっちりな単語探しができるようになるでしょう。


辞書が便利になるのはいいですが、辞書だけで知った言葉をつかうのは危険です。たしかに、辞書的には意味はあっているのだけれど、そこでは使わない(その文章のなかでは使わない)言葉というのもけっこうあります。

2005年2月 8日

クラムボンのライブDVD

B00074C6S8.09.MZZZZZZZ.jpeg昨年夏におこなわれたクラムボンのライブDVD「日比谷野外音楽堂」が発売されました。
曲目がとくに好きなものばかりならんでいたので、それをながめるだけでしあわせな気分になってしまいます。

いい雰囲気ですコンサート。この空気いいな、と思わせてくれます。
ボーカルでキーボードの原田郁子さんは人なつっこそうで笑顔をたやしません。ベースのミトさんはいまのルックスだと一見こわそうなんだけどファンにはやさしい言葉をかけてくれます。ドラムの伊藤大助はシャイなんだなーと思わせる照れたしぐさ。

まえの曲もいいけど、いまの曲もライブを聴くとCDを聴いたときにはわからなかったおもしろさが感じられます。
最近のアルバムはちょっとわからないやと思ってたけど、私が聴けなかっただけなんだなー、と思いました。

B00005HIHN.09.LZZZZZZZ.jpegまえの曲では「シカゴ」があったのがすごくうれしかった。クラムボンっぽい弾むポップス。すっごくたのしい。この曲はなんだかふしぎな歌詞をしてるんですよね。題名がなぜ「シカゴ」なのかもわからない。PVもふしぎ映像。歌詞の感じは、子どものころの想像上の友だちのことを歌っているのかなと自分では思っていますが、はっきりした答えはできれば知りたくないんです。ふしぎだなとずっと思って聴いていたいから。(ジャケットはでっかいほうを貼ってしまいました)。

"日比谷野外音楽堂"
クラムボン
4500円
Amazonアソシエイト

2005年2月 6日

オペラ座の怪人

オペラ座の怪人』を観てきました。

出だしは抑えめで、ある瞬間に事件のあった過去へと移行、物語がうごきだします。ここでミュージカルで有名なあの音楽がながれ、盛りあがります。
わくわくしながら序盤をたのしんでいくのですが、登場人物たちが歌いだして、あれあれ、となります。ヒロインの女の子クリスティーヌと怪人が直にであう場面でふたりがながながと歌いだしますが、なんだか、たいくつです。やっぱり舞台と映画じゃちがうよねー。舞台は生でやるから観るほうも緊張感があるからねー。などと考えはじめ、すっかり集中力をなくしていました。
が、この場面が終わると、映画がたのしくなってきます。あいかわらず、歌はうたっているんですが、おもしろい。映画のリズムになれてきたんだなーとたのしんでいると、ヒロインのクリスティーヌと、彼女のおさな恋人だったハンサムな子爵が愛を語る場面。ここでもクリスティーヌがながながと歌います。あらら、また、たいくつです。どうしたものか。舞台だと遠目に役者をみるから心情を歌にしてもいいけど、映画はアップがきくから表情やしぐさで充分に語れる。歌にしちゃうと野暮なんだよねー。とまた意識が散漫になり、余計なことを考えてました。
が、これが終わるとまたおもしろくなります。
いい場面がつづき、怪人と子爵の三角関係に悩むクリスティーヌは真夜中に墓地へ。彫像がすばらしい、かっこいい墓地です。ここでクリスティーヌが歌いだすと、あらら、たいくつな場面に。
うむ、もしや、クリスティーヌ、おまえの歌かーっ!
気がつくとまたまた余計なことを考えはじめている私。
この歌って、テレビでやったら、吹き替えなのかなー、とか。
あれ、もしや、歌を字幕で読んでいるから、これはたのしくないのかなー、クリスティーヌ役のエミー・ロッサムさん、ごめーん。
実際どうなのかは、吹き替えつきになるだろうDVDか、テレビでの放映をみるしかありません。

とりあえず、オペラ座の怪人のストーリーはおもしろい。それは確信しました。
三角関係がはっきりする重要な場面、本来なら、いちばんおもしろくなるはずのその場面がたいくつになっているので総合的な評価は下げざるをえませんが。
ふくざつな気持ちにさせられる映画でした。

ちなみに、近くの女の子は号泣していました。

2005年2月 5日

ハリウッド版「呪怨」

ハリウッドリメイクの「The JUON」が来週から公開されますが、できばえはどんなもんなんでしょう。
アメリカではかなりの人気をあつめていたようですからいいのかも。それともビデオ版の「呪怨」とたいして変わらないのか。根幹のストーリーは変わらないだろうから、映像表現がどうなったかが勝負の分かれ目です。

ニャーと鳴く白塗りの男の子「俊雄」くんが、私は笑いのツボにはまっているので、もしかしたら我慢できず笑ってしまいそうです。
そりゃあたしかに、実際に、白塗りの俊雄くんが自分ちにあらわれたら怖いけど、それはあらわれるのが叶恭子であってもおなじように怖い(うっ、っていってビクッとする)から説得力がない。

2005年2月 2日

さみしさの周波数

404425303X.09.MZZZZZZZ.jpeg乙一氏の作品集、「未来予報」「手を握る泥棒の物語」「フィルムの中の少女」「失はれた物語」の四つの短篇がおさめられています。

「未来予報」は、おれは未来のできごとをあてられるんだという友だちが、主人公とおなじクラスの女の子がどちらかが死んだりしないかぎり将来かならず結婚するぜ、と予言する。ふたりは意識しあうようになり、言葉もかわさなくなってしまう。読みおわると、悲しみと同時に、ふたりのつよい愛情に、心があたためられます。

「手を握る泥棒の物語」は、自分がデザインした時計の新作を売りにだしたいが元手にこまった青年が、自分の住む町に旅行にきていた金持ちの叔母がもってきていた現金を盗もうとするお話。こうなるんじゃないかなと予想した結末をちょっとずらすテクニックがうまい。それでいいラストにもちこんでいます。

「フィルムの中の少女」はホラーっぽいスタートを切ります。映画研究会の部室で偶然見つけた古いフィルムを好奇心にかられて映しだすとラスト近くに、ふしぎな少女が映っていた。こちらに背中をむけた制服姿の少女。もういちど見返すと、さきほどの姿勢からちょっとこちらに向きを変えていた。映しだすたびにむこうをむいていた少女の顔がこちらへ少しずつふりかってくるのだった。けっこう読むとこわいのですが、これがやがてせつない、無惨に断ち切られてしまったが、とても率直な愛情の物語へと変化していきます。ここでも「手を握る泥棒の物語」とおなじように、こうなるんじゃないかなと予想したオチをちょっとずらすテクニックがつかわれています。

「失はれた物語」は事故で外界との接触が右腕だけ皮膚感覚とちょっと指さきがうごかせるだけになってしまった男の愛情ゆえにとてもせつないストーリー。ピアノのアイデアがとてもすばらしいです。

"さみしさの周波数"
乙一
480円
角川スニーカー文庫
Amazonアソシエイト