2006年2月22日

Keep Tryin'

B000E6EL82.01._OU09_PE0_SCMZZZZZZZ_.jpg画像だとぱっとみわかりづらいんですがジャケットにはヒカルちゃんがいっぱいです。

ポリスジャパンっていうニュースサイトの芸能関係のコラムにおマヌケな宇多田ヒカル批判があって、"とうとう普通の歌い手になっちまった。もはや「autmatic」や「first love」の感性も表現力もない。"といい、その理由が"アーティストというのは何かを犠牲にして、その儀性にしたものを伝えるのが仕事"というんだけど、歌詞のことからいうとその「autmatic」や「first love」のころのほうがぜんぜん借り物の言葉で、いまのほうが個がでて濃くなっているのでまったく見当違い。たぶん自分が想像している女の子像がきれいに飾られているのをみて、ああいいなあと思ったんでしょう。でもそれはつくりものです。
これについてはエピソードがあって、ある記者に"これって実生活からきてるんでしょう""自分のことでしょう"とうるさく問いつめられ、あまりにもしつこいので宇多田ヒカルはついにキレて"エンターテイメントっていうのはなー、大衆が望むものをあたえることなんだよ!"と啖呵を切ったそうです(ソースはたしか雑誌"サイゾー"。手もとにのこっていないので再確認できず)。
宇多田ヒカルの歌詞は変わり始めました。
曲についていえば、「autmatic」や「first love」など最初のころはR&Bの優等生なコピーだし、たしかMISIAのまねともいわれていたぐらいだから、コラムの書き手がそこに"どんなアーティストとも異質の光"をみいだしていたのなら、それはただの無知の表明です。
ここのところのシングルは"EXODUS"からも一転、日本的な調べを基調としたシリーズになっています(つぎのアルバムを視野にいれているのでしょう)。さまざまな模索を試みているために、ちょっと聴きづらい展開になっているところもあります。でもそれは工夫の表れです。
宇多田ヒカルのCDを買う人が減ったというのなら、それは個性が増してきてそれを味わおうとするファンが搾られてきたからです。アーティストの成長にファンはついてこれないということでしょう。

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