モノをつくり、素敵に生きるひとたちの、その感覚に触れるインタビュー集。後藤さんの本はほんとうにすばらしい。たくさんの智慧を眼にして、なんだかどこからかまた力がわいてきました。ちょっとしたことでやっぱり人間は強くなったり弱くなったりしますね。
いちばん最初はよしもとばななさんとの対談。出産の後(2003.9)、赤ちゃんをつれてのインタビューだそうです。終わりの方にある、ばななさんのお姉さんの話がすごい。"またぎ"のようになっちゃってるんだそうで、ばななさんがお姉さんに、食べたものがおっぱいとして出るってことは、私の食べ物に気をつけた方がいいのかなえって訊いたら、「あんた、そういう世の中に蔓延してるくだらない話をきかない方がいいよ」ってきっぱりと言われたそうです。すごい。
つぎはポール・スミス。イギリス生まれのデザイナーです。老いた父親たちをみていると、常になにかに興味を持つことが、狭量ならず、孤独にもならず、アクティブでいられるポイントだとわかったという。そして、自分に対してリラックスすること。そうすれば、疲れていてもハードでも、それまでの力で進むことができる。
そして、柳美里。後藤さんの「彼女たちは小説を書く」にも登場しています。それ以前の時点のインタビューです。
ユーリー・ノルシュテイン。切り絵アニメのアニメーション作家。大人になろうとも精神の中には赤ちゃんの面影が秘められているという。赤ちゃんの特徴は驚くこと。驚きを失わないかぎり、やわらかく、フレキシブルでいられる。また、赤ちゃんのようにやわらかく触れることのできないひとたちが犯罪者のようになってしまうのではないか、と。
それから、加藤晴之。イタリアでカーデザインをし、日本でソニーのプロダクトデザインをやり、そのあと、八ヶ岳で自然農法にうちこみ、蕎麦打ちの修行もし、現在は東京に戻ってきてオリジナルのオーディオ制作をしているそうで、すごいひとです。
志村ふくみ。織物の制作者です。目に見えないものに触れるには、目に見えるものに厳密でなければならない、後藤さんの印象です。志村さんの言葉はやわらかでやさしいのですが、刃物にじかにふれるようなやばさがあって魅力的です。
ヤノベケンジ。芸術家。
是枝裕和。映像作家、映画監督。映像にかかわることで、はじめて他人とかかわれるようになったといいます。そして、さいきんやっと、カメラを間にはさむことででてくる自分の喜怒哀楽の感情を前向きとらえられるようになってきたそうです。
ジェームズ・ラブロック。生物学者。「ガイア仮説」のひとです。しかし、過激な自然主義者に苦言を呈します。現実的な生を考えています。
ヘンリ・ミトワ。禅僧。
甲野善紀。武術家。自分が在るということをコトバや信仰によらず、実感するための手がかりとしての武術だそうです。
ブライアン・イーノ。音楽家。"アートと人生は切り離せない。一つのものだと皆考えるのが好きだけど、私は嫌いだね。「アート」は、自分の人生や生活の中でできないことをするための場所だと思う。危険で反社会的かもしれないが、感情や直感、五感のための実験室なんだよ"。
内藤礼。芸術家。フェルメールのある絵をみたとき、はじめてわかったと思ったことがあるという。その絵はなにも教えてくれなかった。「ある」、存在していること以外なにもない。答えだとか、役に立たなきゃいけないとか、ためにならなきゃいけないとか、そういうのがいかに間違ってるか、わかったそうです。
岩松了。劇作家、演出家、俳優。演劇に仮に才能があるとしたら、しらけつづける才能だという。なにか失敗したひとがいて、それを喜劇とみる。それだけじゃなくて、失敗したひとをたまたま見ていたひとがいて、あのひと可哀想と心で笑っているのを、さらに喜劇としてみる。そんなふうにつねにしらけたひとが一人いることを想像する、それが演劇の才能だそうです。
デズモンド・モリス。動物行動学者。意味を超えてリアルを感じることが大切。
ダグラス・クープランド。作家。"未来について一番不思議に思うのは、僕らがそのことを気にするのに、僕らはもうそこに生きていられないってこと。未来に何が残されて、何が失われているか、誰も教えてくれないんだよ。だからとにかく「さあ、行こう!」って感じさ"
木村二郎。造形作家。
ピーター・ガラシ。MoMA写真部門チーフキュレイター。ドキュメンタリー写真が、広告写真や映画のシーンのようにみられ、セットアップのほうもいかにもドキュメンタリー写真のような日常光景をとるようになり、なにかするまえに、もうすでに、現実と虚構、リアルとアンリアルの関係があるのをみたそうです。
橋本治。作家。
阿部和唐。陶人形作家。
ロドニー・アラン・グリーンブラッド。造形作家、イラストレーター。
柴田元幸。東京大学文学部助教授、翻訳家。"木の中に彫刻作品というのは実は隠れていて、こっちはそれを掘り出すだけ、とよくいわれますが、翻訳もそれに似ている"
チューチョ・バルデス。ジャズ・ピアニスト。
照屋林助。漫談家。"緊張する者に、「緊張しないようにしっかりしなさい」って言ってもそれは絶対に治らない。こういうときには、わざとおまじないの文句として「緊張してみせてやれ」と言いながら芸をしろって言います"
大橋歩。イラストレーター。昔、先生が形は練習すればよくなるけど、色は天性のものだからダメなものはダメといわれたそうです。それで、がんばってやってきたが、形には限界があった。色は時代の中で善し悪しが変わる。先生の言葉はいまでは間違っていると思うとのこと。出てくるもの(ものの考え方・見方)はその人そのもの。
小熊英二。評論家。"戦前、戦中の思想にしても、文章にしても、それだけ読んでいてもそれはある種の「ミイラ」みたいなものであって、最初は一見すると「何を馬鹿なことを言っている」としか思えないかもしれない"
堀江敏幸。作家。"ある作家を継続的に読んでみて、くもりのない声が聞こえて来た時、この人は信用していいんじゃないかと考えるんです。作者に会いたいということではなくて、あくまで作品を読み続けていこう、世間の評価はどうあれ、捨てないでおこう。そう心に誓うんです"
フィリップ・ワイズベッカー。イラストレーター。
今井俊満。芸術家。
島村菜津。作家。スローライフ、スローフードを日本に紹介した。"よく、「スローフード」っていう食べ物があると思っていたり、グルメの新しいスタイルみたいに思っているひとが多い。ようは頭の切り替えなのに。そう言うと「それだけですか」といわれたりします"
野坂昭如。作家。"本来、詩とか小説とかっていうのは、一つしか書けないもんなんだよ。もちろん社会的な意味での言葉を考えれば、言葉は磨いたほうがいいと思うし、相手に伝えるための努力はした方がいいけど、だけど本来出てくる言葉は、赤ん坊の泣き声みたいなもんで、それは一つっきゃないんだ。訓練してできるものでもない。磨き立てて洗練されるものでもない。文章って、だかからかいたらそれでおしまいで、書くことの方に意義があるわけだよ"
リカルド・ボフェル。建築家。"なぜ我々が見るようなものだけで、他の可能性はないのだろうか?"
トニー・ガトリフ。映画監督。"我々は往々にして間違っているのさ"
福西英三。バーテンダー。
秦早穂子。映画評論家、エッセイスト。「勝手にしやがれ」など1950年代後半から60年代までのヨーロッパ映画を輸入紹介している。
大橋力。情報環境学者、生物学者。山城祥二の名まえで芸能山城組をひきいる。
伊藤キム。舞踏家。"アーティストは自分で実践するものをつくるんじゃなくて、見る人や世間と共有する何かをつくる。そうやってギャラが入って生活できる、社会的に機能する存在なんだと思うんです"
やなぎみわ。写真家。"それに、少なからず私たちの世代は虚構の肉親に育てられてますよ。マンガやアニメや小説の中に自ら見出した「親」たちにね。"
ブルース・マウ。デザイナー。"何かを見て、「これは完全にポジティブである」と単独で切り離してとらえることができるものは、実は、まずない。たいていの物事にはポジティブな面とマイナスの面が同居している。だからエンゲイジメントと続け、関わり合いを続けることを通して、「ポジティブとはなんであるのか」を理解し、ネガティブを緩和することを常に考える"
石毛直道。批評家。食文化の研究。
塩野米松。作家。
妹島和世。建築家。
ストーム・トーガソン。デザイナー。
山極寿一。霊長類学・人類学者。"類人猿と言われるテナガザル、オラウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボは、それぞれ全然違う社会を持っている。比較してみると、その両極にテナガザルとボノボがいある。テナガザルはほとんど永続的なペアで縄張りをつくるから、人間みたいに複数の男女の出会いはないし、排卵日以外はほとんどセックスしない。一方、ボノボは日常的に発情し、「挨拶」としてセックスをする乱交社会。面白いことに、その両極の社会には「暴力」も「子殺し」もない。でも、その中間にあるチンパンジー、ゴリラ、ヒトの社会にはこれがある"
石岡瑛子。ファッションデザイナー。
辻信一。文化人類学者。
ゲーリー・スナイダー。詩人。"想像力は、自由とヴィジョンにとって重要だからこそ、イギリスのシェリーは、「詩人は非公認の立法者」だと言いました。詩や絵画は、政治よりも社会を変える大きな力を持っているんです"
東松照明。写真家。
美輪明宏。歌手。"女"優。"宗教は企業に過ぎない、と美輪さんは切って捨てる。いかに信仰するか、それが問題なのだ"
書いてないところはなにも感じなかったわけではなく、全部書きたい(でもむり)か、秘密にしておきたいからです。
"五感の友"
後藤繁雄
リトル・モア
円
