2006年11月29日
2006年11月27日
日本怪談大全 第4巻 犯罪の館
ここまでの3巻にくらべるとだいぶ怪談らしくない作品が収められています。犯罪実話的なものが多くあります。それを補うように超常的超心理的な要素の作品がならんだ「超常現象の館」とペアになっています。
田中貢太郎は、怪談のおもしろみを、異様な状況に置かれて、ふだんにまして色濃くにじむ、人間の心理のありように見ていたということなので、犯罪実話が入ってきてもふしぎではないんでしょうね。
幽霊というのは、現実にいるいないにかかわらず、創作物の中では、人間心理のある部分を実体化させたようなシンボルとしてあらわれますから、人間に強く興味を抱いているひとはけっこう怪談を好みます。異常犯罪に興味をもつひとも、そのひとが異常行為に興味があるのでないかぎり、やはり人間への興味からそういうものへの嗜好がでてくるようです。
この巻にもけっこう強力なモダンホラー的な作品が収められています。
ストーカー犯罪の走りのような「鎌」。
サイコホラー「あかんぼの首」「白いシャツの群れ」「海異志」。
ロマンス的な怪異譚「船の上」。
要チェックです。
また、谷崎潤一郎の異色の短篇「人面疽」の直接の粉本(元ネタ)という"怪霊雑記"の一話を現代語に書き下した「人面瘡物語」も収められています。
2006年11月26日
ソウ3
「ソウ3」を観てきました。
3はよいとの評判を聞いていたのですが、2作目を観ていなかったので、どうしようかと、ほかのまだ観ていない映画と見比べながら、売り場前で迷いました。R-15指定がかかっているし、この映画のほうが先に上映期間が終わってしまうだろうからというのが、この映画を選んだ理由です。
出だしはよくわからないうちに始まります。1でみた"ゲーム"がいきなり始まっています。この"ゲーム"が「ソウ」シリーズの特徴のひとつとなっています。苦痛を伴った試練を乗りこえると生きのこることができる死のゲームです。
ストーリーは練りこまれ、犯人"ジグソウ"が仕組んだ意外な結末へと導かれます。これがシリーズのもうひとつの特徴です。先読みができても、そこにピシッとはまるのがまた快感なので、マニアさんにもうけています。
人物設定は、あるていど映画が進むとエピソードシーンが挿入されているので、これまでのシリーズを観ていなくてもなんとかなります。
新しい会社に入ってそこの人間関係を把握しながらる仕事をするような感覚です。
映画などの創作物は人間に役割と意味を強くあたえているので、現実生活よりも簡単に推測がつきます。現実での人間の役割や意味は表面的で型押ししてつくったようなものにすぎませんが、創作ではそれは本質的なものだからです。
人体を切ったりつぶしたりする表現が露骨にでてくるので、それが大丈夫ならば、非常にできのよいミステリーとしておすすめします。
ためしに「ソウ」の1作目をレンタルして観るのがいいかもしれません。
2006年11月25日
そのトラックバックってツールをつかってるやってるの?
最近は妙なところにトラックバックを貼っていくひとがいます。
相手先のトラックバックは映画の話題だったりするんですが、映画とは関係ない記事に貼っていくんですね。
それも、複数のひとがおなじところに。
なんだろう? なんらかのソフトウェアをつかってるんじゃないかと思ってるんですが。
えーと、そのツール。「バグってますよ」
って、いってもツールをつかってトラックバックを貼ってるひとは、ここを読んだりしないんでしょうが。
さらにいえば、どこに貼ろうがかまいやしないんでしょうが。
チャットモンチー「シャングリラ」
このところずっとFMでかかっていて、だんだんと気にかかってきた曲です。
第一印象ははインディーズからあがってくるユニットがこんなふうといった感じ。こういう、こなれきっていないような音楽がずっと好きだったので、じっと聴いていたんですが、くせになりました。
CDを買って聴いてみると、ラジオではわからなかった音がはっきりします。思っていたよりずっとロックな音なんですね。イントロもかっこいい(ラジオだとしゃべりがかぶるのでちゃんと聴いていなかった)。
歌詞は、恋人同士の男の子のほうがふたりのことを考えているところ。ひとりごとっぽい感じです。「希望の光なんてなくったっていいじゃないか」っていう負けん気のセリフがかっこいい。好きです。
カップリングの「迷迷ひつじ」は曲もおもしろく、かっこいい。こりゃほんとにいいですねー。
2006年11月23日
もれもれ、水漏れ!
あー、水漏れ!
台所の蛇口の根元に水がたまるようになりました。
最初は少しだけだったので、水が跳ねたものだろうと思っていましたが、その量がだんだんと多くなってきました。ていねいにふきとっておいても、朝になると水がたまっているので、これはく水漏れでしょう。
どこがだめなのか調べてみます。
レバーはねじ固定ではなく、さしこんであるだけでした。ぱこっととれました。

レバーがはまっていた"つまみ"の部分をうごかして水を流すと、写真に見える、レバー付近の白い部分と周りの銀色の外枠の合間から水がしみでてきました。
どうやら、それがあふれて内部のすきまをつたって蛇口の根元にでてきているようです。
流しの下の扉をあけて、水とお湯の元栓を閉めます(これを忘れると地獄です)。

手でカバーみたいなものは外れました(すでに横にはずしてあるギアみたいなものを先にはずす。これはカバーみたいなものの回り止めです)。

パカッと白い部分がぬけました。



レバー操作の仕掛けを一体化してひとつの部品にしてある(モジュール化)んですね。

この白いのの下には、スプリングとゴムを組み合わせたゴムパッキンが二組入っていました。水とお湯の通り道と、レバー操作の部品との間の水漏れ防止用でしょう。
おそらく、このゴムパッキンか、レバー操作の部品のどちらかがだめになったための水漏れだと思われます。
ネットで調べてみると、ゴムパッキンは"フレアパッキン"と呼ばれ、レバー操作の部品は"カートリッジ"という名まえでした。
蛇口に、蛇口の型番TKJ31FRXが印刷されたシールが貼ってあったので、それをもとに蛇口メーカーのTOTOのホームページを調べてみると、(けっこう時間がかかったけど)、カートリッジの型番は"TH552RR"とわかりました
ホームセンターの水道関係の売り場へ行ってみると、同じ型番はなかったものの、カートリッジが売っていました。売り場の担当者にたのんで必要なカートリッジとフレアパッキンを取り寄せてもらうことにしました。
ここまでが先週の土曜日のことです。
今日、部品がとどいたということなのでさっそくホームセンターへ取りに行きました。

カートリッジ、真っ白です。
フレアパッキンは最初からカートリッジに同封されていて、べつにたのまなくてもよいようになっていたとのことです。色は赤茶になっていました。
お値段は税込5,008円(定価は5300円。税込5565円。水道屋で買うよりホームセンターのほうが安くすみそうです)。
はめ込むのは簡単(説明書もついていました)。
水漏れもぴたっと止まりました。原因はパッキンではなくてカートリッジのほうでした。
2006年11月21日
掛け算のおもしろい計算法
エルエルさんところで紹介されていて知った掛け算のおもしろい計算方法。
線をひっぱってくだけなんですよ。ふしぎ、ふしぎ。
Easy Mental Multiplication Trick - video powered by Metacafe
蜘蛛の瞳
「蛇の道」にでていた哀川翔演じる新島が本編の主人公です。新島は娘を殺した犯人捜しをまだつづけていましたが、めぼしい人物はすべてあたりつくし、行き場がなくなっていました。惰性でむなしく生きているだけになりつつある新島に、昔の友人、岩松が声をかけてきました。貿易会社を経営していて、いい人材をさがしていたのだと、新島を仕事に誘います。新島はそれにのりますが仕事は退屈ですぐにやめることにします。岩松は、新島が必要なのだとまた誘いにきます。そして、自分の仕事の本当の部分を新島に明かします。それは、殺しのビジネスでした。
岩松に仕事を持ち込んでいるマフィア的な政治結社の幹部に大杉漣。そして結社のトップには菅田俊。大杉漣は右翼っぽい神懸かり的なところがちょっとあるクールなキャラ。菅田俊は化石掘りが趣味で素朴な田舎オヤジっぽさをみせますが要所要所の口調が完全な命令形で恐ろしさを感じさせるキャラを演じています。ひじょうによいです。
印象的な映像がいくつかあらわれ、なにやら、ふつうじゃないです。娘の幻影のような、その後の黒沢作品の幽霊ものにつながるような映像もでてきます。
戦場のノイローゼというのがこんな感じなのか、殺しの現場では機械的でありながらも生きているんだけど、それが終わると落ち込んでいく、闇がつづいていくようすが描かれていきます。
仮に、娘を殺した犯人が確定して殺せたとしても、すべてが元通りになるわけでもないから、無駄なんだよね。だからといって、許すのもばかばかしい、この悲惨な現状がさらに暗闇に変わるだけ。どうにもなりません。
2006年11月19日
プラダを着た悪魔
きのう、「プラダを着た悪魔」を観てきました。
ジャーナリストになる足がかりとしてまずファッション誌トップの「RUNWAY」の秘書になったアンディ(アン・ハサウェイ)。それは伝説的編集長ミランダ(メリル・ストリープ)の独善的な仕打ちに耐えなければならぬ地獄のポストだった。——そんなふうに始まる、ファッション業界の内幕を描いた映画です。
映画全体にわたるストーリーは、犠牲になっていく私生活なのですが、映画のおもしろみは編集長ミランダがもたらす"問題"。演じるメリル・ストリープが、小林幸子と美輪明宏を足したような風貌の強烈なキャラにみごとになりきっています。奇妙なほどの執着など、クセの作り方がうまいです。終盤、アンディにちょっとだけ打ち明けてみせる弱い部分の演技がまたよくて、ずっとファンだったひとはあらためて魅力に感心するはずです。
ストーリー的にはもっとスリリングにでもできたと思うのですが(終盤で展開するエピソードを全体に絡めるとかして)、それはやらずに、筋はあっさりめです。そのため、観ているときはおもしろかったのに、終わってからの印象がかなり弱くなっています。"ミランダ問題"だけで充分たのしめるので、必要ないと判断したのでしょうか?
脇を固めるスタンリー・トゥッチがいい味をだしていて好きです。ハゲのメガネのおしゃれさんのあのキャラです。アンディのいい相談相手であり、ださださのアンディをきれいにするアドバイザーにもなっています。
ふしぎに思ったのは、映画のサントラに、オープニング曲でもあり、予告篇にもつかわれていたケイティー・タンストールの「Suddenly I See」が入っていないこと。最近はこうなのか昔からこうなのかわかりませんが、「マイアミバイス」もLinkin Park&Jay-Zの「Numb-Encore」が入ってませんでした。ビジネス上の事情か、CDは先行してでているようなので急遽使われることになったせいなのかわかりませんが、ファンをないがしろにしている感じがあります。
2006年11月16日
Blog 27 「LOL」
2006年11月14日
日本怪談大全 第3巻 禽獣の館
それが現れると魔に魅入られ人生がねじまがる----狂気の象徴としてあらわれる動物や、人に姿を変えて異性を魅了するもの、あるいは動物に惹かれ人の世界から外れていってしまう話、狸に化かされるといったような昔話に基づいた話など、なかなかバリエーションに富んでいます。
著者の故郷、高知の伝説もとりいれられていますが、有名な「犬神」の話がほんのちょっとだけ話題になっているていどなのがおしいですね。狐憑きと、西洋の邪視・邪眼(evil eye)の要素がまじったような感じで、嫉みが動物の霊を相手にとり憑かせます。そういえば、高知出身の漫画家の西原理恵子さんが嫉みをネタによくしていますが、土地柄的に嫉妬に対する意識が高いんでしょうか。
2006年11月13日
2006年11月12日
7月24日通りのクリスマス
「7月24日通りのクリスマス」をみました。
恋でも仕事でもきらびやかでお姫さまのような生活を送れる"むこう側"のひとと裏方さんになってそれをうらやましくながめているぐらいしかできない"こちら側"のひと。自分はこちら側だと思っているOLの小百合(中谷美紀)はそれでもすてきな恋も王子さまの登場もあきらめてはおらず、空想の中でいろいろ夢見ている、ひとりっきりが長い女の子。ずっと想いつづけてきた自分の中の王子さまランキング397週ナンバー1の奥田聡史(大沢たかお)が帰郷し、OB会で再会。なぜだか、なぜだか、運命のいたずらか、ふたりは急接近していくのです。
長崎が舞台となります。主人公、小百合が子どもの頃からずっと好きだった、いがらしゆみこのマンガ「アモーレ・アモーレ」の物語の舞台となっているリスボンに、この街が似ていると思っているので、風景がときどきリスボンに見えます。実際のリスボンでロケをしているのですが、だからってそれ以上のことはなく、贅沢なお飾りです。でも、やるからには本物の画をつかうだけの根性みせないとだめですよね。
あこがれの王子さまと、さえない女の子の恋はうまくいきすぎて、先行きの不安感がどんどん高まっていきます。それとダブらせて、主人公の弟(阿部力)がミスター長崎大学のかっこいい男なんですが、彼がこんどつれてくる女の子が主人公と同じタイプのさえない子(上野樹里)で、主人公の恋の行方だけでは語りつくせないことをこちらで描きます。
主人公のいつもそばにいる男性を佐藤隆太が熱演。また、主人公の父親の恋人役をYOUさんが演じています。YOUさんはたしか大沢たかおのファンだったから、すっごいうれしかったんじゃないでしょうか。
コメディタッチでなかなかおもしろい映画でした。
2006年11月10日
化粧品のモニター

男性用の化粧品のモニターをはじめました。
化粧品といっても、スキンケアのレベルです。
自分などは脂っこいけどかさかさにもなりやすいという困ったちゃんなのでヘタに洗うだけだとがさがさになってしまいます。何度も洗えて肌を傷めない洗顔剤(かつ、香りがないもの)としてファンケルのジーナス・クリアフェイスウォシュをつかってきました(こちらで紹介)。
化粧水のたぐいもつけたほうがいいんだろうけど(それより食べ物に気をつけたり睡眠を充分にとったりして肌のコンディションを整えればかなり改善するのかもしれない)、そこまでするのはめんどくさいのでつかってきませんでした。
モニターは、なんだか学研の教材付き学習雑誌「○年の科学」みたいなので、たのしそう。やってみることにしました。
顔の左右にAの化粧水、Aの乳液、Bの・・とわけてつかいます。
わー、実験だよ、実験だよ。ぞくぞくするよー、とちょいとヘンタイ気味の気分です。
2006年11月 8日
後藤繁雄「善悪對談」
善悪をテーマにしたインタビュー集。もちろん、善悪が絶対的なものじゃなくて状況にあわせて変化するものだというのは、もはや全員、前提となっています。
お相手と、気になった部分をちょいと抜き書きしてみます。
松山俊太郎(女子美術大学教授。サンスクリット学者。Wikipedia)松山「人間は規範によっていくらでも変われるんじゃないかって気がするんですよ」
塩野七生(作家。Wikipedia)塩野「ある書評でね、塩野七生は弱者に対していささか同情に欠ける、とあったの。いささかどころか、私は全く同情してないよ。そこだと思うんですよ。あなたがお聞きになりたいことの答えは」
野村武司(狂言師。現在、二世野村萬斎。Wikipedia)野村「ダメな人はね、教わったまんましかできない。ヘタというより面白くない。様式性をもたされた分、逆に最大の自由がある」
鈴木清順(映画監督。Wikipedia)後藤「誤解される自分も自分のうちだってことですね」鈴木「そうですよ。もっと誤解されてつくられたほうがいいし、誤解の中で生きたほうがいいと思うね」
島田雅彦(作家。Wikipedia)島田「美しい日本の私、っていうフィクションは、裸で異民族や宗教の違う者と向かいあった時には何も役に立たないでしょ」島田「忘れてはならないのはジョークだと思います。だいたい多民族国家みたいなところでは必ずジョークが生まれるんです。で、ジョークっていうのは必ず差別と背中合わせでね」
升田幸三(将棋棋士。Wikipedia)升田「やっぱり棋士がね、正しいと思う手かどうかが問題だ。相手をちょろまかす、それが一番悪いね。というのはね、それは自分自身を滅ぼす手だからだ」
堀米ゆず子(バイオリニスト。Wikipedia)後藤「花と鏡って世阿弥の?」堀米「そう。だから花というのがどれくらい自分が感じられるかってことだったら、鏡っていうのはどれだけその自分を冷静に見れるかってこと。自分でその曲を感じて、演奏するんだけど音にならないのではダメ。その曲をどう思ってるかがわかんないとね」
井上章一(人文学者。専攻は建築史、意匠論。Wikipedia)後藤「テレビとか見てると必ず悪人は関西弁を使っているような気がするんです」
山本耀司(ファッションデザイナー。Wikipedia)山本「かっこよく言っちゃうと、それは孤独っていう故郷を懐かしんでると思うんです。だから感受性のいいやつらは、生まれたとたん頼みもしないのに何で生きなきゃなんないとかってね。みんな、伝統美とかナショナリズムとか歴史とかっていうのと結びつけて懐かしさを大切にしてるでしょ。勝ちたいんだったら、それでいい。僕らは引っ掻き傷であってもね、負けるためにファッションやってるんだから」
安藤忠雄(建築家。Wikipedia)安藤「結局、悪意というのはエネルギーがいるんです。でも善意というのはエネルギーなんていらない。悪意を持つということは、体力と精神力と、それに勇気がいるね。悪意という勇気がいる。でも、善意という勇気はないと思う。善意というのは普通で、善意の建築は面白くないな」
ピーター・グリーナウェイ(映画監督。Wikipedia)グリーナウェイ「善と悪なんてものはどちらも存在していないと思う。それはね、人間によって作られた単なる構成概念であって、そもそも道徳なんてこの世には全く存在しないものなんだ。だから私のなかには善だの悪だのといったことは存在していない」
森村泰昌(芸術家。Wikipedia)森村「子供をバイオで作って芸術作品だっていうアーチストだってでてくるかもしれない。でも感覚はモニターでも、できあがるのは現実です。今や鏡の世界と現実の世界がきっちり分かれたものではなくなってる。そうするとどこまでが狂気なのか、どこまでが芸術なのか、ますますあやふやになってきてることは確かだと思います」
関野吉晴(探検家。医師。人類学者。Wikipedia)後藤「善とか悪っていうのも、人間が順応していくために創り出した悲しい方便なのかもしれませんね」
塩月弥栄子(茶道家。1970年「冠婚葬祭入門」が大ベストセラーになる)塩月「みんながやってることを同じように一年中やる、これはエチケットなのね。マナーっていうのは、その場や相手によって、自分がもっている才能を働かせて、こう引くべきだとか、ここは出るべきだ、心はどこにあるかとか判断できること」
赤瀬川原平(前衛芸術家。作家(尾辻克彦)。Wikipedia)後藤「自分にとって一番エグイことをやってみると、今までそんなことにこだわってた自分ってコドモだったんだなと思ったりしますよね」赤瀬川「そう。単に頭に支配されてんだっていうかね」
マイケル・クラーク(ダンサー。振付師)マイケル「美しいものは醜いものがないと存在しない。苦痛を知らなければ、快楽を感じることはできない。善も悪もどっちもなきゃいけないものなんだ。それは、相互に依存していて、一方を理解するともう一方もより認識できるようになる。それらは、おたがいに強めあっている」
香山リカ(精神科医。Wikipedia)後藤「話を聞いていると、香山さんは、治療を通して患者さんと一緒に自分の中のタブーのハードルを越えていこうって感じですね」
野口武彦(文学評論家。Wikipedia)野口「うけるために、彼(鶴屋南北)は狂ってるんですよ。狂っているとしか言いようがない。歌舞伎作家が考えるのは客が入るか、入らないかだけなんですよ」後藤「馬琴は何が善で何が悪かわからなくあんった時代に、勧善懲悪をはっきりしたかった。何が善で何が悪か、はっきりしたいがために一種の強迫観念にとりつかれたみたいになる。一方南北は、考えないで行くから、逆に時代の無意識をつかまえることができる」
星野道夫(写真家。Wikipedia)後藤「タブーっていうのはそれによって一方で自分たちのアイデンティティーをつくることにもなる。タブーがなくなるってことは、自分たち自身が何であるのか判断できなくなるってことでしょ。普通、タブーっていうと、人は社会のルールみたいに思いがちだけど、実は自然や動物や宇宙と付き合うための約束事だったんでしょうね」
中島らも(作家。Wikipedia)中島「僕は根本的に鬱なんで、人工的にハイにしてから書くっていうのが日常ですね。もう、そこには善とか悪っていうものを持ち込む筋合いのものじゃないんです」
荒木経惟(写真家。Wikipedia)荒木「俺は物語は作らない。提出するだけ。もう見る人の数だけ物語があるようにさ、新しい物語を作っていいんだよ。写真っていうのは、現実と違ったもう一つの真実だから。真実っていうのは、いっぱい作っていいんだよ」
エイミ・タン(作家。Wikipedia)タン「いことが起こってほしいと願うことは、願って来てもらうんではなくて、自分が望んだものっていうのを、かなり注意深く、それに集中して、一生懸命に願うことによって自ら見つけていくことじゃないかと思うんです」
奥井一満(昆虫学者)奥井「男と女の駆け引きなんていうのも、何も人間に限った話じゃないんですよ。あらゆることはもう昆虫によってやられている」
坂本龍一(音楽家。Wikipedia)坂本「ある表現が力を持つためには、その音楽が依拠しているルーツとかアイデンティティーというのは問題じゃない。極論すると物真似でもいいし、コピーでもイミテーションでも全然かまわないのかもしれない」
ロバート・ウィルソン(演出家)後藤「では、西洋の演劇を悪くしたのは何でしょう?」ウィルソン「それは心理的自然主義。まず自然主義というのが欺瞞だと思う。舞台の上で自然であろうとするなんてできない。舞台の上は常に人工的なものなのです。演技しているのだから。だから、人工的であるほうがもっと正直だ」ウィルソン「自然主義は不自然で逆に人工的です。モーツァルトと弾くとして、子供の頃から65歳になっても練習しているとする。しかし、その練習は決して学び終わるものではない。学びつづける何かがあるのです。自由に弾けるようになればなるほど自然になる。人工的であることこそ自然への道なのだと思う」ウィルソン「メカニカルであればあるほど、楽にできるようになる。繰り返しやることによって、やがて自由にできるようになるんです」
種村季弘(翻訳家。作家。Wikipedia)種村「極端な悪なんていうのは、極端な善と同じでね。極端なユートピア国家が、牢獄みたいな国家になるのと同じだよ」
北山耕平(編集者。インディアンの世界を日本に紹介した)北山「ネイティブの世界には固定的な善悪って存在しないんです。メディスンマンっていう人は、善も悪もすべて引きうけて持っている。いわゆる、聖人じゃないんです。彼らは、グッドやバッドが出てきている同じ根っこをつかまえて、バランスがとれるように力を使うんです」

この本は、ずっと品切れで読むことができなかったので、アマゾンのユーズド商品を購入しました。あたまの方の数ページがごそっとぬける状態だったけど、その他はとくに悪いところはなかったので、まあしょうがないとあきらめて。たぶん、ページ開いたまま、他の本に押しつぶされていたりしたんでしょうね。
けっこういい智慧の書なので再版希望です。
2006年11月 6日
健康保険って
健康保険って相互扶助の精神に基づいているから、つまり助け合いってことだから、保険料払っているからつかわなきゃ損っていうのは間違ってるんじゃないかな。
そいうのって学校で教えないよねー。
社会の仕組みをきちんと教えるべきだと思う。
マウス買い換えました(MX610)
MX1000というマウスを2年以上つかってきたのですが、左ボタン(右手持ちで人さし指側)がへたってきたのか、クリックの反応がおかしくなってきました。さいしょはクリックしても反応がないときが時たまあるていどだったのが、ドラッグ(クリックしたまま移動)中にクリックの反応が切れてしまうようになってきました。そうなると、アイコンを運んだり、範囲選択ができなくなります。どうしようもないので買い換えました。
まったくおなじものを買うのもつまらないので、今回はMX610というのを買ってみました。MX1000とおなじメーカー、ロジクールです。とりあえずレーザーで、サイドボタンで進む・戻るができるものを選びました。コードレスは電池の持ち具合の問題がつねに絡んでくるのでどうするか考えましたが、MX1000以前からずっとコードレスをつかってきていたので、まあ、いいか、今回もつきあうか、と迷ったすえにMX610を選びました。
MX1000との違いは、まず充電器がないこと。MX1000は充電器にマウスをごちっと立てておけばよかったんですね。らくちんですが、接点がマウスの底面にあるので、ときどき磨いてやらないと、汚れのせいで充電しなくなっちゃいます。MX610は単3電池を2個マウスに入れます。充電式電池を買えば繰り返し利用可能です。以前に、充電式電池と充電器は買って持っていたので、この点は問題ありませんでした。内蔵式の電池ではないので、電池の寿命がきても、簡単に取り替えられる利点はあります。
さわってみて思ったのはMX610はMX1000にくらべるとかなり安い感じがあります。値段は2000円ぐらいの差しかないのに、すっごいプラスチック丸出しの感じ。そうはいっても、もともとマウスはこんな感じだったんですよね。MX1000がしっかりしていたんですね。
買うときに気づかなかったんですが、クルーズボタンというホイールを囲むような形でついていたボタンがなくなってしまったのが不便でした。ページ送りが割りふられていたボタンで、これでざっと移動して、ホイールでちょいちょい行送りして目的の位置までたどりつくようにしていたんで、ないとかなり不便です。スクロールがすごく苦痛になりました。(ロジクールのページを見に行ったら、このボタンがあるのはMX1000だけなんですね。便利なのに)。
あとはそれほど問題は感じませんでした。(お金できたら、噂の高かいやつ買うかねー、と思った)。
Logicoolのマウス用ソフトSetPointはそのままだとキーに割りふれる機能が制限されていますが、有志によるパッチを当てると可能なすべての機能を割りふれるようになります。ただし外国のものなので部分的に英語になってしまいます。LogiWikiという2chまとめサイトのSoftWareのページからUberOptionsというのを選んでみてください(直だとこちら)。archive: v3.1.1というのが正式版のSetPointのバージョンなのでこれをダウンロードして実行します。
2006年11月 4日
蛇の道
宮下(香川照之)は、たまたま知り合った新島(哀川翔)といっしょに、男を拉致し、町の廃工場へ監禁した。鎖で壁につないだ男の前にテレビを持っていき、ビデオをみせる。画面には女の子が公園でたのしそうに遊んでいる場面が映しだされている。宮下は男にいった。「俺の娘だ。殺された」。そして娘の検視報告を読みあげていった。「おまえが殺したんだな?」「おれじゃねえよ」何度目かの応答の後、男はべつの男の名を口にした。その男が知っているはず、と。新島と宮下はその男を捕らえにいった。
そうしているうちに、宮下と、つかまえた男たちの関係があきらかになっていきます。 誰が女の子を殺したのか、なにが行われたのか、なぜ新島は宮下を助けるのか、その謎でストーリーをひっぱっていきます。
神経症的で、おもわせぶりな映像が随所にでてきて、刺激をあたえてくれます。
やはり黒沢清監督の作品はストーリー性が強い方がいいですね。ストーリー性が弱いと、個々の場面が関連しないで、映像がきれいなだけの散漫な映画になってしまいます。
ナチョ・リブレ 覆面の神様
「ナチョ・リブレ 覆面の神様」をみてきました。
修道院で孤児として育ったイグナシオは大人になり給仕係として働いていた。修道士にばかにされる生活にいやになり、小さい頃から好きだったルチャリブレ(プロレス)のルチャドール(レスラー)になることを決意します。
お調子者で、トホホな失敗をくりかえす、だけど熱い魂だけは誰にも負けないイグナシオを、「スクール・オブ・ロック」や「キング・コング」でおなじみのジャック・ブラックが演じています。ジャック・ブラックの個性まる出しの、ちょっとクドいけれども憎めない、かわいらしいキャラになっています。
修道院に新しく先生として赴任してくるシスターにメキシコっぽいきれいな顔立ちのアナ・デ・ラ・レグエラさん。典型的な清純派、ちょっぴり強気なところもある、いいマドンナ役を演じています。
イグナシオの相棒としてリングにあがるやせっぽちのレスラーにヘクター・ヒメネス。いい相方をつとめます。
忘れてはならないのが、イグナシオを応援する、ふとっちょの男の子。いい味をだしていて、ジャック・ブラックよりも大人の雰囲気があるのも面白いところ。
シンプルなストーリーですが、細部にアイデアがつまっていて飽きさせません。構成もまた巧みです。盛りあがりの上下の波は完璧です。プロレスシーンのできばえもすばらしく、相手役がプロなのでしょう、スピード感あふれる見ごたえたっぷりの試合を展開します。
ボリュームとしては小品ではありますが、なかなかよいですよ、これは。
2006年11月 1日
核実験は北朝鮮の最終カードではなかった
最終カードを切ったといわれていた北朝鮮の核実験。
でも、これは最終カードにはならなそうな感じです。
田中宇さんの国際ニュース解説の10/24付のメルマガ「日本の核武装とアメリカ」によれば、
日本と北朝鮮が核戦争に近づくことは、金正日だけに得をさせる。金正日政権は事態が戦争に近づくほど、国内を結束させ、政権転覆を防げる。一方、日本は、北朝鮮が「東京に核ミサイルを落としてやる」と宣言しただけで経済が打撃を受け、混乱する。日本がミサイル防衛や核兵器でいくら武装しても、この状況は変わらない。
ということ。失うものがない勢力に対してこちらが核を持ったとしても抑止力にはならないそうです。田中さんは以前から日本のような国土の小さい国が核をもっても抑止力にならないといっていました。こちらは三発も都市に撃たれれば国の機能は停止するが、たとえば中国のような国土の大きな国だと同様に三発撃たれても平気だということです。
また、同日のメルマガには、
かつて世界の核保有国は、国連安保理の常任理事国と重なっており、核兵器は「強く正しい大国が合議によって世界の秩序を守る」という国際社会の体制を維持する効果を持っていた。
とあります。危ない武器を持ち合うことで、それなりの秩序が保たれてきたわけです(この感じは、最終兵器によって科学者が世界の各国を脅して平和な世界をつくるというジェイムズ・P・ホーガンのSF「創世記機械」のちっちゃい版を思わせます)。
日本も核武装をというのは、いうだけなら中国の重い腰をあげさせるのにちょうどいいんですが、実際に持つというのであれば抑止力にならないんだからまったく無駄だし、それなら「唯一の被爆国でありかつ非核国」というクリーンなイメージのほうが日本にとってはプラスですよね。
さて、北朝鮮は核によって政治力を得ました。これからどうなっていくんでしょう。6か国協議も再開されるようです。中国の出方しだいというのはちょいとなさけないですよね。
わたしが見たポル・ポト—キリングフィールズを駆けぬけた青春
誰かがそこに行って真実を伝えなければならない。これまで知られてこなかったカンボジアの本当の姿が描かれます(映画「キリングフィールド」は偽りの物語でした)。
報道写真家になることを望み、アメリカの意図によってベトナム戦争の戦火が拡大したカンボジアに行き、取材し続けた著者の活動の記録です。
映画「キリングフィールド」がまったくの嘘だというのが意外でした。
この映画は、カンボジアの戦争を取材していたニューヨーク・タイムズの記者シドニー・シャンバーグと彼の助手をしていたカンボジア人のディス・プランの物語として描かれます。ベトナム戦争時にアメリカの支援を受けてクーデターを起こし誕生したロン・ノル政権がアメリカのベトナム戦争敗北により崩壊、ポル・ポトが指揮するカンボジアの共産勢力クメール・ルージュが支配するようになります。シャンバーグはプランといっしょに国外へ出ようと偽のパスポートを作るが失敗、取りのこされたプランは集団農場へ送られます。そこでクメール・ルージュによる虐殺を目撃します。長い苦難の生活ののちに、プランは運良く脱出、タイへ逃れます。そこで四年ぶりにシャンバーグと涙の再開を果たすという感動の作品です。このシャンバーグという記者による手記をもとにした実話として作られました。また、ラストにジョン・レノンの名曲「イマジン」がつかわれていることでも有名です。
公開当時から、事実と違うと批判され、プロデューサーのデイヴィッド・パットナムは、この映画は政治的なことが主題ではなく、シャンバーグとプロンの友情物語として見てほしいと語ったそうです(じつはその友情物語でさえ嘘なのだそうですが)。
いまはそういう批判があったことさえも忘れられて、事実として受け入れられてしまっています(たとえばWikipediaやAmazonでのカスタマーレビュー)。映画の恐ろしさです。これによってポル・ポト派の大虐殺のイメージが作られてしまいました。
ただ、ポル・ポトの政権において大量の死者をだしたのは確かなようです。政策の失敗により、大量の餓死者、病死者をだしました。ポル・ポト派の幹部も虐殺は否定していても、政策の失敗は認めています。
そのほか、カンボジアの内戦とみられていたものが、すべてベトナムとの戦いであったこと。アメリカの侵略を撃退したベトナムがこんどは隣国を侵略というのは苦笑するしかありません。現状はベトナムの傀儡国家になっています。有名なアンコール・ワットの遺跡は管理権がベトナムの企業に委譲されており、観光の利益はベトナムに落ちています。悪者とされるポル・ポト派だけが戦ってきました。だから、悪者にされてしまった部分がかなり大きいのでしょう。
そしてベトナムの南北差別。テト攻勢で南ベトナム解放戦線は事実上壊滅、北ベトナム軍にとってかわられることになりました。終戦後は、南の肥沃な農地は北の人間に分配さ、南ベトナムの人間は追いだされる形でカンボジアやタイに流入していきました。
さらに驚いたのは、ODAの資金援助は、日本にキックバックされているそうです。一部着服ってことです。ODAがそんな直接的な利権だったとはびっくりしました。
湾岸戦争のときも、イラク戦争のときも、危険地帯に入りこむ報道記者、そのために亡くなったひとたちは、バカだと、けっこう国内では批判されてきたけど、いや、やっぱり絶対にそういうひとたちが必要なんだとこの本を読んでいてあらためて思いました。
報道する側もそれを見る側も、だいたいのひとは真実をもとめているけれど、実際はそうはいっていない。そこで起こっていることを見に行ってくれるひとがいないかぎり、そうはなりえないことなんですよね。







