2007年2月25日

さくらん

 土屋アンナの啖呵と
 おっぱい、もみもみ。

 もみもみ、もみもみ、菅野美穂。
 もみもみ、もみもみ、木村佳乃。

 男ってそんなとこしか観てないんだから、やぁーねー、みたいな。そんな「さくらん」は、吉原の女たちを映画です。

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 監督の実花さんは写真家だけあって、画だけで場が持ちます。構図に独特の美しさがあります。例外は、吉原の通りを俯瞰でみた場面。CGだと思うんですが、消失点一個きめて線をちゃっちゃと引いて作図して作ったような単純な遠近法で描かれた通りの画がすごくつまらないんです。これ以外はとてもすばらしいできばえです。

 この美しい舞台で、土屋アンナ演じる主人公の、遊女であるけれどその境遇にあきらめず恋に生きていく姿が描かれます。遊女が恋することの地獄と、女たちの妬みがギチギチと軋むさまが、スパイスとしてピリッと効いてきます。

 キャストは、女将の夏木マリが妖気を漂わせています。その旦那で楼主を石橋連司が。このふたりは妖怪ですね。さらにもうひとり、菅野美穂も、ホラーで鳴らした怪物の魅力をトップの花魁として発揮しています。それ以外の配役もなかなかみごとに決まっています。

2007年2月24日

ランズデール「罪深き誘惑のマンボ」

Amazon.co.jp: 罪深き誘惑のマンボ: 本: ジョー・R. ランズデール,Joe R. Lansdale,鎌田 三平 かつての恋人が、KKKが支配する町で消えてしまった。彼女は野心あふれる弁護士だった。名を売るための事件を調査するため、その町へ行き、そして帰ってこなかった。彼女のいまの恋人である警部補に頼まれ、ハップはたよりになる相棒のレナードとともに彼女が消えた町へ乗り込んでいった。

 ハップとレナードのシリーズの3作目です。
 レナードは黒人であり、負けを潔しとしないマッチョタイプなので、当然、すぐに目をつけられ、ボコボコにされます。

 またかよというくらい、マッチョのキャラクターは小説や映画によくでてきて、芸がないなとあきれるほどなんですが、アメリカはいまでもマッチョが尊ばれる国なんですね。できる男はマッチョなスポーツマン、学生時代はアメフトの選手になる。女のほうはチアリーダー、というのがおきまりのコースだそうです。だからキャラクター造形の鉄板の要素になり、それを描くことがアメリカ人一般を描くことになるわけです。(もちろん、安易に傾くことが多いですが)。

 ふたりは鼻っ柱をへし折られて、すっかり自信喪失しながらも、なんとか事件の真相へたどり着きます。ミステリーではなく、サスペンス。犯罪小説というと感じがつかみやすいかと思います。

 全体の、熱に浮かされたような雰囲気がとてもいいですね。低級な町のようすがよく描かれています。

"罪深き誘惑のマンボ"
ジョー・R・ランズデール
角川文庫
777円
Amazonアソシエイト
bk1ブリーダー

2007年2月21日

世界最速のインディアン

stub-theworldsfastestindian.jpg インディアンというのはアメリカの古いオートバイメーカーの名まえです。主人公の老人が若いころに手に入れたそのバイクでスピードの世界最高記録に挑む物語です。
 おじいさんとスピードという取り合わせがよい感じです。

 主人公は、ニュージーランドから貨物船でアメリカのロサンゼルスへ渡り、ハリウッドへ。おんぼろの車を買ってスピード競技が行われるソルトレイク・シティへと旅します。この珍道中がなかなか楽しい。デヴィッド・リンチがトレイラーで旅する老人を描いた映画「ストレート・ライフ」とおなじおもしろさがあります。

 シンプルなストーリーのドラマですが最後まで飽きさせずに見せてくれます。

 ラストの作りが、このまま引退?それとも死んじゃうの?と思ってしまうような演出になっているんですが(とくに家にもどって倉庫へ入るところの場面)、最後には字幕で「この後、何度も競技に参加して自らの記録を塗りかえ続けた」と表示、思わせぶりな演出をすべて無駄にしています。制作者の意図がわかりません。ここがマイナス点です。もしかすると、もう、終わっちゃうと思った? へへへ、まだまだやり続けたんだぜ、この男は、と思わせたかったのかもしれません。でも、そうなら、ちょっと下手ですね。もったいないです。

2007年2月17日

遠藤周作「深い河」

Amazon.co.jp: 深い河: 本: 遠藤 周作 私はクリスチャンの書いた宗教色の強い小説が嫌いです。
 聖書の引用やイエスの名をだして自分の小説もこれらと同じ高レベルのものなんですよといいたげな虚飾と、なにを書いてもつまるところ作者の信仰の自慢話でしかないところがどうにも好きになれず敬遠してきました。

 しかし、このあいだ、雑誌で読んだ堤堯さんのコラムに、この「深い河」は《一神教から汎神論へと移行する青年を描いた》とあったのに目がとまりました。

この一神教というのは、この世にはただひとつの神が存在するということです。宗教としてはごくあたりまえの考え方ですね。汎神論のほうは、この世にあるすべての物に神が宿っているという考え方です。小石にも、枯れ葉にも、それに、人にもです。
 キリスト教からみれば異端の考えです。ひとつの神を認めないにしても神自体を認めないといっているわけではないから異端というのはオーバーで、ちょっとした意見の違いでしかないようにもみえますが、これには信仰を自然に崩壊させる毒がふくまれています。ひとつの神の方向へむいていたものが、それぞればらばらにおのおのの神を追いもとめるようになるからです。ひとりずつべつべつの宗教を持つようになっていくのです。きちんと信仰につとめてきたひとならば、この危なさを瞬時に肌で感じることでしょう。

 遠藤周作さん自身も最初はガチガチのクリスチャンだったそうです。それが変わっていったわけです。自分が真実だと信じてきた物の根源を疑う。そういった身を危険にさらしてまで物事を追求する姿勢に、強く興味をひかれました。


 小説は、複数の人物によって語られる群像劇の形をとっています。とくに主人公を決めないで、複数の異なった視点から、物事を見ようとするのが群像劇です。汎神論を語るにはふさわしいということで選んだ形式でしょう。

 最初に登場するのは妻を病気で失う男です。妻は死ぬ前に、自分は絶対生まれ変わるから探して、と告げます。三島由紀夫の「豊饒の海」シリーズに似た輪廻転生の物語です。これで序盤のストーリーを引っぱっていきます。

 つぎは、強気な女のひと。大学時代に、牧師になろうとする生真面目な青年をたぶらかします。この青年が後に《一神教から汎神論へと移行》します。彼のことは、なにか引っかかるところがあって、なんどか会うことになります。その彼が、インドのガンジス河の聖なる地にいるときいて、日本人の団体旅行に加わります。このインドの旅行が後半の舞台です。団体旅行に加わっているメンバーがこの小説の主な登場人物になります。妻の生まれ変わりを探している男も、この旅行に参加しています。ところで、この女性、痛いことに、大学時代のあだ名が「モイラ」っていうんです。仲間が、小説の主人公の名まえをとってつけたそうです。このきつい設定にはまいりました。古い小説には描かれる大学生にはこういう痛い設定がよくあります。

 物語は、三島の「豊饒の海」と同じく、つかもうとした物をつかめずに終わってしまいます。ほしかった物を眼にしたと思った瞬間にそれを永遠に失ってしまいます。ただ、《一神教から汎神論へと移行》した青年だけがたぶんなにかをつかんでいたように思います。彼が、汎神論を主張して、教会から拒絶されながらもキリスト教徒であることをやめなかったところに私は好感を持ちました。ほかの宗教へ移行すればもっと楽に、思いのままに望みのことをしてこれたのに、「なぜ」と思う気持ちと「そうだよな」と思う気持ちと半々ですが、強く惹かれました。こういうひとが実際にいたらいいのにと思いました。たよりなくて、直接他人を救う力なんてないんだけれどね。

"深い河(ディープ・リバー)"
遠藤周作
講談社
620円
Amazonアソシエイト

2007年2月12日

とかちつくちて

 うわー、はまったー、"とかちつくちて"


(…終盤に地獄があります)。

 しばらくすると、また見たくなるんですよ。


 (おまけ)アイドルマスター関連リンク

 ☆公式☆☆☆☆☆
 THE IDOLM@STER

 ☆Webラジオ☆☆☆☆☆
 アニメイトTV 『ラジオdeアイマSHOW!』(木曜更新)
 インターネットラジオステーション<音泉> THE IDOLM@STER RADIO(ラジオ大阪放送の番組の再放送。水曜更新。番組のサイトはこちら

 ☆キャスト個人サイト(ブログ、日記)☆☆☆☆☆
 中村繪里子(天海春香 役) 繪*日記
 今井麻美(如月千早 役) ★UBIQUITOUS★ASAMI IMAI
 落合祐里香(萩原雪歩 役) ゆり花日和
 若林直美(秋月律子 役)、仁後真耶子(高槻やよい 役) Players〜プレイヤーズ〜日記(Players〜演劇集団プレイヤーズ〜公式HP内)
 たかはし智秋(三浦あずさ 役) Chiaking
 下田麻美(双美亜美・真美 役) あさぽんの小屋
 長谷川明子(星井美希 役) 長谷川明子の☆おにぎりと私。

2007年2月11日

どろろ

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 主人公"百鬼丸"と旅することになる"どろろ"の汚い言葉で啖呵を切る威勢の良さと、ふるまいのコミカルな動きが笑いをさそいます。映画そのものをひっぱっていくキャラクターです。

 時代設定は原作と違って、架空の世界になっています。ストーリー的には変更する必要性は感じられずく、セットや衣装や小道具などの時代設定をきちんとやらないですませるための変更のように思います。

 見た目の動きのおもしろさで勝負する場面は、人物がきっちり正確に動かなければきれいにみえないのですが、そこらへんが雑になっています。これは時代劇全般に感じます。この映画だとオープニングでそれが見られます。戦闘後の死者で埋めつくされてる草原を、5人ぐらいの武者が槍を持って生き残りを探している場面なのですが、死んだまねをしていた男が立ちあがって逃げようとしたところを5人が一斉に槍で刺します。リアリティからするとこんな場面はまずありえません。扇状にみえるという形にこだわってつくった場面です。オープニングにインパクトをあたえるための演出でしょう。しかし、5人の武者の動きがそろっていない。刺した後によろよろしているのがいる。もう、シチュエーションがまったく台無しになっています。美的にするならもっとがんばってくれないといけません。

 物語のポイントは、"親殺し(親子関係)"と"復讐(はきりがないからやめよう)"でした。とくに新しいことはいっておらず、ごくふつうに主張されています。
 全体のできばえは、魔物やら奇形やらちょっと変わった趣向の童話といったところ。見栄えも内容もいくらでも派手にグロテスクにできたところをPG-12(小学生以下は保護者同伴)で抑えたのは、子どもたちに見せたいからなのでしょうね。

2007年2月10日

墨攻

bokkou.jpg 槍と弓、石造りの城、古い中国の戦闘が大迫力で展開されます。主人公は、「インファナル・アフェア」「LOVERS」で知られるアンディ・ラウが演じる、墨家の若き技術者"革離(かくり)"。小国の参謀として招かれ、大国の軍勢を退けます。

 墨家は平和を重んじる思想集団です。しかし、ただ平和を唱えるだけの団体ではなく、すぐれた技術者の集団でもありました。戦争の技術にも精通しており、他国に攻め込まれて困っているどんな国にも望まれれば援助の手をさしのべました。

 "革離"も重責を果たし、攻め込んできて大軍を退けました。物語の後半はそこからはじまります。

 戦いもあり、ロマンスもありと、かなりおもしろいのですが、主要人物がかなり死んでいくのがけってんです。戦争の悲惨さを伝えるためなのでしょうが、ある人物が助からなかったのが私は残念でした。自分はけっこうデッドエンドに許容があるほうなのですが、他の人をあれだけ死なせているかわりに、あの人は助けてほしかったと思います。かなり酷い目に遭わされたんだし、助かってもよかったんじゃないかと思うんです。死なすならもっと早い段階で死なせて、その死によって展開するストーリーがあるなら、まだ納得ができるんですが。このもやもやした気分でマイナス1点です。

2007年2月 2日

マリー・アントワネット

 昭和天皇をえがいた映画「太陽」を観て、天皇の戦争責任をとりあげて問題提起しないこの映画はいかんと鼻息を荒くしていたひとたちは、この「マリー・アントワネット」を観て、国民を苦しめた責任を描いていないのはいかんといったでしょうか。
 なになに、マリー・アントワネットは断頭台にのぼってちゃんと責任をとったって?
 いやいや、映画では国民を苦しめた責任は描かれていませんよ。だから、だめなんじゃないんですか? ねえねえ、どうなんですか、答えてくださいよ。

 (なーんてね。まあ、そういうひとたちは、なにかよくわかっていて、映画をみて天皇の戦争責任をいったんじゃなくて、天皇というとそれしかしらないからそういっただけなんですよね)。

ma.jpg

 ソフィア・コッポラ監督のこの「マリー・アントワネット」は、歴史的な難しいことはほとんどいわず、マリー・アントワネットを材料に、現代人でも共感できるあるひとりの女性像を浮かびあがらせます。
 うまくいかないうっぷんを、おしゃれやギャンブル、遊び、いろんなおいしい食べ物にむけているところなんてすごくよくわかるんじゃないかと思います。くちさがない周りの人々にうんざりさせられたり、味方だと思っているひとも陰ではちょいちょい悪口をいっていたりするところもリアルです。

 王妃が題材ということで、人気者としてもてはやされるひとの生涯もうまく表現されています。最初は、ねたまれて反発をくらっても、やっぱり彼女が花なんです。注目を集め、周りをひっぱっていく力を発揮します。しかし、終盤には、まえと同じことをしても、ブーイング、白い目で見られるようになってしまいます。

 これはソフィア・コッポラ自身でもあるのでしょう。
 大監督フランシス・フォード・コッポラの娘として生まれ、女優業は失敗したものの、マスコミが"ジェネレーションX"と呼ぶ、人々の注目をあつめたムーブメントの中心人物であり(ただし本人たちがジェネレーションXなんてものは存在しないと否定したために、この呼称は短期間で廃れ、死語になった)、"ガーリー"と呼ばれる女の子ぽさを前面に打ちだした写真の先駆者であり、そして、「ヴァージン・スーサイズ」「ロスト・イン・トランスレイション」と若き映画監督としての名も立てました
 そんな彼女の、われわれが見ることのない、苦しみやがんばってきた部分が実感として作品に反映されているのだと思います。