2007年2月 2日

マリー・アントワネット

 昭和天皇をえがいた映画「太陽」を観て、天皇の戦争責任をとりあげて問題提起しないこの映画はいかんと鼻息を荒くしていたひとたちは、この「マリー・アントワネット」を観て、国民を苦しめた責任を描いていないのはいかんといったでしょうか。
 なになに、マリー・アントワネットは断頭台にのぼってちゃんと責任をとったって?
 いやいや、映画では国民を苦しめた責任は描かれていませんよ。だから、だめなんじゃないんですか? ねえねえ、どうなんですか、答えてくださいよ。

 (なーんてね。まあ、そういうひとたちは、なにかよくわかっていて、映画をみて天皇の戦争責任をいったんじゃなくて、天皇というとそれしかしらないからそういっただけなんですよね)。

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 ソフィア・コッポラ監督のこの「マリー・アントワネット」は、歴史的な難しいことはほとんどいわず、マリー・アントワネットを材料に、現代人でも共感できるあるひとりの女性像を浮かびあがらせます。
 うまくいかないうっぷんを、おしゃれやギャンブル、遊び、いろんなおいしい食べ物にむけているところなんてすごくよくわかるんじゃないかと思います。くちさがない周りの人々にうんざりさせられたり、味方だと思っているひとも陰ではちょいちょい悪口をいっていたりするところもリアルです。

 王妃が題材ということで、人気者としてもてはやされるひとの生涯もうまく表現されています。最初は、ねたまれて反発をくらっても、やっぱり彼女が花なんです。注目を集め、周りをひっぱっていく力を発揮します。しかし、終盤には、まえと同じことをしても、ブーイング、白い目で見られるようになってしまいます。

 これはソフィア・コッポラ自身でもあるのでしょう。
 大監督フランシス・フォード・コッポラの娘として生まれ、女優業は失敗したものの、マスコミが"ジェネレーションX"と呼ぶ、人々の注目をあつめたムーブメントの中心人物であり(ただし本人たちがジェネレーションXなんてものは存在しないと否定したために、この呼称は短期間で廃れ、死語になった)、"ガーリー"と呼ばれる女の子ぽさを前面に打ちだした写真の先駆者であり、そして、「ヴァージン・スーサイズ」「ロスト・イン・トランスレイション」と若き映画監督としての名も立てました
 そんな彼女の、われわれが見ることのない、苦しみやがんばってきた部分が実感として作品に反映されているのだと思います。

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