2007年2月17日

遠藤周作「深い河」

Amazon.co.jp: 深い河: 本: 遠藤 周作 私はクリスチャンの書いた宗教色の強い小説が嫌いです。
 聖書の引用やイエスの名をだして自分の小説もこれらと同じ高レベルのものなんですよといいたげな虚飾と、なにを書いてもつまるところ作者の信仰の自慢話でしかないところがどうにも好きになれず敬遠してきました。

 しかし、このあいだ、雑誌で読んだ堤堯さんのコラムに、この「深い河」は《一神教から汎神論へと移行する青年を描いた》とあったのに目がとまりました。

この一神教というのは、この世にはただひとつの神が存在するということです。宗教としてはごくあたりまえの考え方ですね。汎神論のほうは、この世にあるすべての物に神が宿っているという考え方です。小石にも、枯れ葉にも、それに、人にもです。
 キリスト教からみれば異端の考えです。ひとつの神を認めないにしても神自体を認めないといっているわけではないから異端というのはオーバーで、ちょっとした意見の違いでしかないようにもみえますが、これには信仰を自然に崩壊させる毒がふくまれています。ひとつの神の方向へむいていたものが、それぞればらばらにおのおのの神を追いもとめるようになるからです。ひとりずつべつべつの宗教を持つようになっていくのです。きちんと信仰につとめてきたひとならば、この危なさを瞬時に肌で感じることでしょう。

 遠藤周作さん自身も最初はガチガチのクリスチャンだったそうです。それが変わっていったわけです。自分が真実だと信じてきた物の根源を疑う。そういった身を危険にさらしてまで物事を追求する姿勢に、強く興味をひかれました。


 小説は、複数の人物によって語られる群像劇の形をとっています。とくに主人公を決めないで、複数の異なった視点から、物事を見ようとするのが群像劇です。汎神論を語るにはふさわしいということで選んだ形式でしょう。

 最初に登場するのは妻を病気で失う男です。妻は死ぬ前に、自分は絶対生まれ変わるから探して、と告げます。三島由紀夫の「豊饒の海」シリーズに似た輪廻転生の物語です。これで序盤のストーリーを引っぱっていきます。

 つぎは、強気な女のひと。大学時代に、牧師になろうとする生真面目な青年をたぶらかします。この青年が後に《一神教から汎神論へと移行》します。彼のことは、なにか引っかかるところがあって、なんどか会うことになります。その彼が、インドのガンジス河の聖なる地にいるときいて、日本人の団体旅行に加わります。このインドの旅行が後半の舞台です。団体旅行に加わっているメンバーがこの小説の主な登場人物になります。妻の生まれ変わりを探している男も、この旅行に参加しています。ところで、この女性、痛いことに、大学時代のあだ名が「モイラ」っていうんです。仲間が、小説の主人公の名まえをとってつけたそうです。このきつい設定にはまいりました。古い小説には描かれる大学生にはこういう痛い設定がよくあります。

 物語は、三島の「豊饒の海」と同じく、つかもうとした物をつかめずに終わってしまいます。ほしかった物を眼にしたと思った瞬間にそれを永遠に失ってしまいます。ただ、《一神教から汎神論へと移行》した青年だけがたぶんなにかをつかんでいたように思います。彼が、汎神論を主張して、教会から拒絶されながらもキリスト教徒であることをやめなかったところに私は好感を持ちました。ほかの宗教へ移行すればもっと楽に、思いのままに望みのことをしてこれたのに、「なぜ」と思う気持ちと「そうだよな」と思う気持ちと半々ですが、強く惹かれました。こういうひとが実際にいたらいいのにと思いました。たよりなくて、直接他人を救う力なんてないんだけれどね。

"深い河(ディープ・リバー)"
遠藤周作
講談社
620円
Amazonアソシエイト

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