そして殺人者は野に放たれる
凶悪な犯罪者が、精神鑑定をうけた結果、責任能力なしということで無罪になる——ニュースでよく聞く話です。
この「責任能力なしで無罪」ってやつ、加害者の人権を守ることばかりに集中しているために被害者と遺族が無視されていると問題になっているようです。
病気でそうとしらず殺してしまったということならば、それを考慮に入れて判決されるべきだとは思いますが、裁判というのは社会秩序を保つためにあるのだから、被害者無視といわれるようになってしまうようでは問題があります。
雑誌WiLLでおなじみの日垣隆さんがそのことについて書いているというので、さっそく買って読んでみました。
WiLLでみる日垣さんは納得いかないことに喧嘩を売る熱血漢です。理詰めで相手のおかしいところを責めていくという、自分としてはいちばん喧嘩をしたくないタイプの人物です。
この本では、被害者と遺族の視点にたち、裁判に関係する人々の怠慢を責めていきます。
論点はつぎの3つにまとまると思います。
・心神喪失・心神耗弱の規定があいまいで歯止め無く乱用されている。
・精神鑑定は裁判の証拠にならない。
・精神病質の犯罪者の治療施設がない。
ひとつめは、基準がほんとうにあいまいで、酒酔いや薬物利用者の犯罪にも適用されています。酔っていたから、ドラッグを使っていたからといって、罪が許されてしまうのはおかしいと思います。他人に薬物を注射されてむりやり犯罪行為をさせられたというのでもないかぎり、責任は負うべきではないでしょうか。
また、基準のあいまいさから、罪を逃れるための偽装に心神喪失・心神耗弱が利用されていることも本書で指摘されています。
ふたつめの精神鑑定が裁判の証拠にならないというのは、精神鑑定を誰がおこなうかによって出てくる結果がちがっていることが理由になっています。そんなあいまいなものが、ほかの数々の確たる証拠をさしおいて、裁判の結果を決めてしまうのはおかしいというわけです。
みっつめなんですが、これはどうしてないのでしょう。病気だからしかたがないといっておきながらその病気をどうにかしようとしないのでは意味がないと思います。それに、専門の施設があれば、治療のフィードバックから精神鑑定の質も大きく変わってくるはずです。みてみぬふり。放り投げて、反省がない。精神障害による犯罪の裁判のすべてを象徴しています。
現状では、こうした裁判はどんどんでたらめな方向へ近づいていくばかり。精神障害による犯罪者を救済しているようでいて助けてはいないし、精神障害者はみんな危ないんだという偏見を増大させていく一方です。
よろしくない。
考えるひと、発言するひとが増えるだけでも、こうしたことが変わるきっかけになると思います。
ちょっとでも興味があれば、ぜひご一読を。そして発言してください。



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