2009年6月30日

不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者

不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者 (新潮選書) (単行本) 戦国時代の終わりごろ、外国のキリスト教宣教師が日本へやってきて布教をしていました。禅僧であった青年、のちのハビアンは、その教えに触れ改宗、めきめきと頭角を現し、やがて日本の教会の重鎮となります。婦人向けに、日本で信仰されているすべての宗教とキリスト教を比較した「妙貞問答」を書き、高い評判を得ます。ところが、このあと、ハビアンはひとりの修道女とともに教会を捨てて行方をくらまします。そして数年後には今度はキリシタン弾圧者として姿を現すのでした。自ら記したキリスト教入門書「妙貞問答」の理屈をそのままひっくりかえしたような内容のキリスト教批判本「破提宇子」を執筆。教会関係者に恐れられます。その翌年に死去。宗教に身を捧げた生涯を終えます。

 並み居る宗教を一刀両断、返す刀で己の信仰をも切り捨ててしまうハビアンの苛烈な人生には興味をひかれるひとが多いようで、芥川竜之介などはハビアンを主人公とした短篇『るしへる』をこしらえています(→青空文庫:芥川竜之介 るしへる)。
 この本の著者もハビアンにおもしろみを感じ、話のネタに持ち出したところ、それを本にしましょうといいわれ、執筆となったそうです。
 著者の釈徹宗氏は浄土真宗の僧侶で、兵庫大学の准教授でもあります。ハビアンは浄土真宗については深く理解していなかったらしく、さくっと批判されるのみであったので、著者はそれを残念だとくりかえし本の中で述べています。
 それは著者自身が信仰している宗教だからなのですが、浄土真宗は仏教にしてはめずらしく仏様(阿弥陀仏)を唯一絶対者して置いているため、日本に初めて絶対者をもちこんだキリスト教と比較するのにおもしろい対象であるのもたしかです。
 また、ハビアンの宗教に対する姿勢が現代人の宗教に対する姿勢と似ていることも著者は繰り返し話題にしています。
 どちらも全体を通して重複が過度かなという観があります。最終章では、ハビアンと現代人との相似を扱うんですが、ここにくるまでにも何度も前振りとしてちょこちょこ話題になってきているので、さすがに読んでいてだれてくるんですね。
 それでも、著者のスタンスが明確にわかるので、くどくなる弊害はあるにしても、宗教の本としては、これでいいのかなと思います。

 原文も出版されていますが(現状、古書のみ)、古い時代の文章なので、すでに読みなれているというのでなければ挫折すると思います。この本でだいたいの内容をつかんでから、興味があれば原文にあたるのがいいでしょう。

 宗教全般、仏教各宗を含めて、ざっくりとその概要と関係性をつかめるのがすごくいいです。
 日本の土着信仰と仏教との兼ね合い、なんて特別勉強をしてないかぎり、流してしまうことであるし、宗教同士の類似点が影響関係にあるのか、ただ似ているだけなのか(そうなる理由があるにしろ)なんていうもの知っていなければわからないことです。
 あと、キリスト教のGODは(日本の)「神」とは違うものであるというのもわかりやすく説明されています。これはハビアンがキリシタンに改宗した理由でもあるので必須なんですが、いまキリスト教を信仰している人でもなんだかよくわかっていない、というかぜんぜんわかっていない人がたくさんいますので、立ち読みでも良いのでぜひご確認をお願いします。これを知らないで、神じゃないだろととんちんかんな天皇批判をしないでくださいね。約束だ。
 それから、根本的なことですが、「比較」というものの正しい利用法についてもきちんと述べられています。陥りやすいミスについてもきちんと注意して書いてあるのは、さすが伝統的な宗教の指導的立場にある者といえるでしょう。こうしてみると現代人の宗教意識についてくどいほど書いてあるのも、指導者的な配慮からなのでしょうね。

"不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者"
釈 徹宗
新潮選書
1260円
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