2010年2月22日

Footnote Pluginに全角カッコも処理してもらう

 MTで脚注機能が使えるようになるFootnote Plugin。Wikiみたくかんたんに脚注がつくれるようになります。
 脚注部分はタグで囲うんですがさらにそれを<fn>(こんなふうにカッコして書いておくと)</fn> *1 、表示部分ではそのカッコをはずしてくれるという細かいところにまで気が配られているすぐれたプラグインです。

 でも、このカッコの処理、半角でしかしてくれないので、全角でも処理してくれるように、ちょっと手をくわえてみました。

 いじくるファイルは footnote.pl です。
 気をつけてほしいのは、自分のブログで使っている文字コードでファイルを変更し保存しなければいけないことです。
 変更には文字コードを扱えるエディタを利用してください。

 変更箇所は、footnote.pl の138行目です *2

sub FootnoteString {
  my ( $ctx, $args ) = @_;
  my $fc = $ctx->stash('footnote_count');
  my $tfc = $ctx->stash('footnote_total_count');
  my $footnote = $ctx->stash('footnote_strings');
  my $val = $args->{value_compiled}
    || ( $args->{value} ? _tag_compile($ctx,$args->{value}) : undef );
 
  if ( defined $val ) {
    $fc++; $tfc++;
    $val =~ s/\s+(\w)/ $1/g;
    $val =~ s/(\w)\s+/$1 /g;
    $val =~ tr/\r\n//d;
    $val =~ s|^\s*\((.*?)\)\s*$|$1|g;
    my ( $fn ) = grep { $_->[0] eq $val } @$footnote;
    if ( $fn ) {
      push( @$fn, [ $fc, $tfc ] );

以下の文字列に書き換えます。

    $val =~ s/^\s*(\(|()(.*?)(\)|))\s*$/$2/g;
 $val =~ s/^\s*(\(|)(.*?)(\)|)\s*$/$2/g; の赤い部分が全角のカッコです。 ブログで使用している文字コードにによって、このカッコの文字コードも違ってきます。そのため、ブログで使用している文字コードを確かめて、その文字コードでファイルを変更、保存する必要が生じます。

 変更したら、ファイルをサーバーにアップロードすれば完了です。

*1: こんなふうにカッコして書いておくと
*2: この行、ほんとうは $val =~ s/^\s*\((.*?)\)\s*$/$1/g; なんじゃないのかな?

2010年2月18日

光るキーボード: Scythe 影武者 SCKB10-LED-BK

Scythe 影武者キーボード SCKB10-LED-BK

 夏の夜にパソコンをするとき、虫が集まってくるのが嫌なので部屋のあかりを消してしまいます。そうするとディスプレイが光っているとはいえ、キーボードの文字はみえなくなります。ブラインドタッチになってそれはそれでいいのかもしれませんが、たまに押したいボタンが押せず、もうひとつ右か、いや、もうひとつか、と順繰りに押さなければならいことがあって不便を感じることがあります。そういうときに、こういうキーの文字が光るキーボードが役に立ちます。

 使用感ですが、まずキーボード全体の薄さに少しおどろきました。キー入力の仕組みが「メンブレン」というフィルム状の圧力パッドなので、薄い、薄い。キータッチの感覚は、わりとカチカチと押さなければいけない感じです。端っこのキー(シフトやコントロール、エスケープ、漢字キー)やテンキーの0キーでわりと押しそこないがありました。これまでキーボードにこだわりをもってきたひとは不満を覚えるかもしれません。いいキーボードは軽いタッチでも確実に感知してくれるので、キーボードに合わせて押さなければならないとなると、贅沢をしてきた身には、けっこうつらいことです。

 光の強さは抑えめでかなりいい感じです。標準のキーは光るのですが、最上部にあるショートカットキーなどが光らないのはちょっと残念。それから、パソコンの電源を落としたときにもキーが光っているのも残念です。ただし、光のON/OFFボタンがあるので、消しておくことは可能です。パソコンの種類によってはマザーボードにあるUSBのジャンパーを切り替えれば光らなくなるようになるらしいですが、最近のマザーボードは電源を落としてもUSBが通電したままで切り替えスイッチもないものが多いそうなので、もしかすると無理かもしれません。自分のパソコンも切り替えのジャンパースイッチはありませんでした。ちなみにUSB→PS/2変換アダプタをつかってもキーは光ったままでした。

 → メーカーさんのページ
 → ShopUさんのページ。写真がたくさんあります。

 三千円あれば買える(おつりがくる)キーボードとしては、いいほうかなとは思います。(他社の光るキーボードは九千円台。もっと高い物もあります)。

 最後におまけとして、マルティメディアキーの電卓のキーで起動するソフトの切り替え方法を書いておきます。ブラウザやメールソフトはWindowsの規定のプログラムを切り替えればそれが立ちあがるんですが電卓を切り替える項目がみつからないのでレジストリをいじって手動で切り替えます。
 レジストリエディタをひらいて、HKEY_LOCAL_MACHINE\SOFTWARE\Microsoft\Windows\CurrentVersion\Explorer\AppKey\18のキーへ移動、ShellExecuteに起動したいソフトをフルパスで記入します(元はCalcになっていると思います。これがWindows標準の電卓ソフトです)。これで完了です。
 自分はいつもつかっている「めも電卓」にしました。

2010年2月17日

宮城谷昌光 『三国志』 第1巻

三国志〈第1巻〉 (文春文庫) (文庫) 著者の宮城谷昌光は、師匠の立原正秋に「必然性のない漢字を使ってはならない」といわれたそうです。ただ使いたいからというだけでむずかしい漢字の言葉を書いていたりしたのでしょうか。著者の略歴をみると、英文科卒で、作家としては恋愛小説から始め、歴史に興味が移り、歴史小説を書くようになったということなので、著者がその言葉を言われた時期に、中国の古い書物にどれだけ接していたかわからないのですが、中国の言葉が漢字だけでできていることをかんがえると無駄に漢字を使うということは、極端な話、無駄な文章を書いているのに等しい。その言葉が好きで敬意を表しているのなら、してはいけないことの第一となるのは必然でしょう。
 中国の古典を学んでいるものでなくとも、漢字が多くなる文章を書くきっかけはあるもので、よく男子は中島敦にあこがれて古いスタイルの文章を書いたりします *1 。『山月記』が国語の教科書にのっているので、そこから単行本を読みふけるようになり、文章をまねるというのが、文学少年の鉄板のパターンです。そうでなければ福田恆存でしょうか。「現代かなづかい」を批判し「歴史的仮名遣」がどれだけ優れているかを説いた人物です。こちらは多分にマニアックに本を読んでいった男子のパターン。評論とか理屈が好きな男子ですね。
 そんなことがきっかけで、古いスタイルの文章を書くと、その評判はたいがいにおいて「難しい漢字を使っている」となります。「かっこいい」でもなく「漢字の使い方がうまい」「漢字がわかっている」でもなく「難しい」。
 どういうことかというと、つまるところ読まれていないんです、全然。表面でひっかかってしまって、まったく中に踏み込まれていない。そんなさんざんな目に遭って(いることには当時は気がつかず)古い文章というマイブームは終わるわけです。
 こんないわゆる中二病みたいな古い文章ブームは現代っ子だけにあるわけではなくて、江戸時代にもあったようです。古典文学の現代語訳をしている歌人の須永朝彦さんは『江戸の伝奇小説3 飛騨匠物語・絵本玉藻譚』の巻末で『飛騨匠物語』と作者・石川雅望(いしかわまさもち)についての解説として以下のように書いています。

ただ原文は、他の読本の作『近江県物語』『天羽衣』共々雅文というか擬古文なので、あまり読み易いものではない。国学を修めると擬古文の物語を書いてみたくなるものなのか、本居宣長の『手枕』、建部綾足の『西山物語』、村田春海の『つくし船(竺志船物語)』、四方歌垣の『月宵雛物語』など、この手のものは幾つも想起されるものの、どれも上々の作とは申し難い。本作の文体も、聊か徹底に欠けるところが目につき、作者の蘊蓄の傾け方、即ち隅田川についての講釈を挿入した箇所など、その手際は京伝・馬琴のそれに及ばない。

 文章のスタイルが中途半端につくられていると、読んでいったときに文章に段差ができて、もともと読みにくいものがさらに読みにくくなってしまうのは確かなようです。古い言葉を現代の感覚でこねまわして見ただけでは、みっともないものができてしまうだけで、古い言葉をつかってはいるけれど、それはじつはもっとも新しい言葉なのだ、これは最新の文章の創出なのだ、という心構えが現実には必要なのでしょう。

 さて、宮城谷昌光さんの『三国志』の文章は、というと、難しい漢字の単語がありはするものの、さくさくと読んでいけます。まず、ふりがながふってあるというのと、字面で意味がとりやすいことが読みやすさの第一で、それから、文章の運びが読みやすさを生んでいます。
 たとえば、「凋弊」という言葉がでてきます。これがいきなりでてきたら、読めないし、意味をとることも困難です。これに「ちょうへい」というふりがながふってあっても事態はほとんど変わりないでしょう。『三国志』の中では「前漢のはじめに匈奴の猛威にさらされてみるかげもないほど凋弊した」となっています。「猛威にさらされて」と「みるかげもないほど」が「凋弊」にかかっているので、その言葉を知らなくても、なんとなく意味がわかるようなつくりになっているというわけです。ただし、難しい言葉をわかりやすくするためにそうしているんではなくて、もともとそういう文章なんですね。言葉がたがいに意味をじゃましあわない。相互にうまく関係し合っている。音楽的な意味で調和がとれています。
 そのほかの特徴としては、この『三国志』は俯瞰で描かれてします。筆者は、登場人物にならずに、登場人物を観察する立場ですべてを書いていきます。
 これは一般的には「説明」といわれる文章です。小説家志望のひとたちのあいだでは説明の文章はダメといわれます。つまらないから。でも、おもしろいんですよね、この小説は。
 ようは、説明の文章も、おもしろく書けば、ぜんぜんだいじょうぶなわけです。たいていの場合、説明は、たんたんと一本調子で書かれているんでおもしろくないんですよね。ほかのところだと、緩急をつけたり、オチをつけてみたり、言葉遊びをしたり、リズムをつけたり、自然にいろいろと工夫を凝らしているのに、説明というところだけはなんにもしないんですから、おもしろいはずがありません。
 
 と文章のことばかり書いてしまいました。内容については次巻のところで書いていきたいと思います。

"三国志〈第1巻〉"
宮城谷昌光
文春文庫
630円
Amazonアソシエイト
*1: 女子はどうなんだろう?

2010年2月 3日

カール

curl.png でないな、でないな、と思っていた雪だるま型カール。
 でていても知らないで食べてしまっていた可能性はある。