2010年4月22日

チャイルド44

チャイルド44 下巻 (新潮文庫) (文庫)チャイルド44 上巻 (新潮文庫) (文庫) スターリン体制下のソビエト。いまよりはるかに厳しい恐怖政治によってひとびとは管理支配されていました。
 共産主義国家は、資本主義国家の欠点・矛盾をすべて乗りこえており、ここでは犯罪など起こりえません。ほしいものがあれば自分で手にすることができます。金持ちが独占していることなどありません。「持たざる者」が「持てる者」から暴力をもちいて奪いとる必要などないのです。殺人もありません。ましてや快楽殺人などありえるはずがありません。それは資本主義社会の矛盾が生みだした病理なのです。
 ……そうした理想を守るために、ひとびとは脅され、逮捕され、拷問を受け、処刑され、あるいは強制労働施設に送られ命を落とすことになります。
 国家保安局が理想を守る城でした。有能な捜査員だったレオは、同僚の罠にかかり失脚。片田舎の警察に左遷されます。そこである殺人事件に出会います。衣服をはぎ取られた少女が腹を割かれて無残なありさまで見つかっていたのです。犯人はすでに確定済み。知能障害をもつ男性によるものでした。しかし、それがそうでないことにレオは気がつきました。その事件とおなじような事件をしっていたのです。国家保安局員だったときにレオがもみ消した事件でした。

 殺人事件など起こりえないという大前提を掲げる社会のなかで、連続殺人鬼に立ち向かおうとするサスペンスです。
 殺人は無いことになっているので、捜査をすること自体が非常に困難です。国民をいたずらに不安に陥れ社会に混乱をまねこうとする「工作」おこなっているとして逆に逮捕されてしまうのがおちです。
 犯人は自由にうごけるが、捜査員は身動きがとれない。犯人にたどりつくためには国家権力と戦わなければいけない。
 こうして描かれていくのは、恐ろしい管理社会です。みなさんのなかには自分が国家権力のトップにあって自由に社会をつくりかえることができるならば、みんなが幸福になれるすばらしい社会、すくなくとも今よりはましな社会がつくれるだろうと考えるひとがいるかもしれませんが、共産主義社会というのはまさにそういうものでした。すぐれた指導者がわれわれを幸福に導いてくれる世界。地上の楽園です。もちろん、管理社会は共産主義だけのものではありません。一休さんではないですがご用心、ご用心です。

 物語の演出もおもしろく、いままで見えていたのとはまた違う側面が見えてくる手法をじょうずにつかって、どきどき感を高めています。これは犯罪捜査という小説のジャンルとの相性がいいし、物語の舞台である自分を偽らなければ生きてはいけない世界との相性もばっちりで、高い効果をあげています。相手を信じて、その愛情を信じて、つらい道を選択したのに、じつは愛なんてなかったとなったら愕然とさせられます。この先どうやってやっていけばいいんだと一気に不安が押しよせてきます。心配で心配でつづきを読まずにはいられません。

 ちょっと欠点かなと思ったのは、終盤の展開が大きくなりすぎるところ。シリアスな推理物だったのが冒険小説になっちゃったかな、という感じでやりすぎの印象がありました。それと登場人物のひとりが意味ありげに終わってしまってるところが中途半端だなと思いました。この人物は、でもこんなふうに処理しなければ犯人に殺されているであろう立ち位置にいるのでしかたないかとも思います。殺されてしまうとラストがきつくなるし、あつかいが難しいキャラクターです。(あとで気づいたんですが、このシリーズの続編がすでに刊行されていました。伏線になっているんだったら、意味ありげで、あまり問題はないですね)。

"チャイルド44"
トム・ロブ スミス
新潮文庫
上巻 Amazonアソシエイト
下巻 Amazonアソシエイト

2010年4月19日

狂乱家族日記 八さつめ

狂乱家族日記 八さつめ (ファミ通文庫 あ 8-1-8) (文庫) だいぶ置いて行かれてしまった。買いのがしていた日日日作品をアマゾンでクリックしてカートにいれたら一万円超えました。まあ、創作意欲があるのはいいことだし、日本で作家の仕事だけで食っていくには年三、四冊は書いていかないといけないらしいから。そうじゃないひとは講演とか副業で稼いでいるようです。

 八巻目はとりあえず「来るべき災厄」編は大団円を迎えます。
 精神は子どもだけど、力は宇宙最強クラスの強欲王。消費するエネルギーも半端なく、しもべのような小さいものたちが集めまくっている。そんな彼の望みは狂乱家族たちによって満たされ、地球の滅亡は回避されました。
 が、しかし、なにやらまだ済んでいなかったことがあり、それをめぐって物語は最終段階へ。
 キャラが多いし、ストーリーはストレートに進んでいくんじゃ亡かろうかと自分は思っていましたが、予想外に紆余曲折ありました。これからも楽しみです。

 はやく九巻以降、来ないかな。

"狂乱家族日記 八さつめ"
日日日
エンターブレイン(ファミ通文庫)
630円
Amazonアソシエイト

出撃!魔女飛行隊

出撃!魔女飛行隊 (学研M文庫) (文庫) ソビエトに実在した女性たちだけの飛行部隊を描いたドキュメンタリーです。

 夜間爆撃の部隊は、練習用の旧式な複葉機(→Po-2)を爆撃機としてつかっていて、これが夜空にあらわれ爆弾を落としてゆき、敵であるドイツ兵をひどく悩ませませたそうです。ついたあだ名が「夜の魔女」。旧式の複葉機というのがまた魔女のイメージに似つかわしいと思います。ドイツ軍はただしこの飛行機に本当に女性が乗っていたとはしりませんでした。
 この飛行機は複座型といって前後にならんでふたつ搭乗員席がついていました。練習機というだけあって、どちらからも操縦ができるようになっていました。対空砲をくらって操縦士がうごけなくなったときに後ろの席の航法士が操縦するというエピソードが本の中にあります。そのとき、後ろの席からでも飛行機を操作できるはずなのになぜか操縦桿がぜんぜんうごかなかったそうです。どうしたかと思ったら、前の席の操縦士が操縦桿の上に倒れこんでいたせいでした。いそいで身を乗りだして操縦士の襟首をつかみ引っ張り上げて操縦桿をうごかせるようにしたといいます。航法士というのは飛行進路を操縦士に支持する役割で、夜間爆撃の際には、外はまっくらで進路の目標となるものがほとんどないため、後ろの席にのりこんだ航法士が、地図とストップウオッチと目の前の計器とを懐中電灯で照らし、にらめっこして現在位置を割りだし伝送管で操縦士に指示をあたえました。
 日中の爆撃にはPe-2(→Petlyakov Pe-2)という飛行機もありました。左右の翼に一個ずつプロペラがついているんですが、このプロペラが同方向に回転するため、離陸時に機体が傾いてしまう癖がありました。さらには操縦桿が重く、爆弾をつんだときには、女性ひとりでは動かせず、二人がかりで操縦桿をひっぱって離陸させたそうです。
 戦闘機はYak-1(→Yak-1)です。操縦はむずかしいのですが、熟練すれば能力の高さを駆使してドイツの主力戦闘機メッサーシュミット Bf109(→メッサーシュミットBf109)と渡りあえました。
 女性たちの部隊はこの三種類からなりましたが、パイロット志願の女性たちはみな戦闘機に乗ることをめざしていたので、爆撃機の操縦士や航法士に配属が決まると一様に落胆したそうです。
 その戦闘機乗りからは、腕をみこまれて通常の部隊へと転属になった者もいました。リリー・リトヴァク(→リディア・リトヴァク)もそのひとりです。男性パイロットと恋に落ち、公認のカップルとなっていましたが、訓練の模擬戦闘中に彼は墜落して亡くなってしまいます。その瞬間を彼女は地上で見ていました。このつらい体験を忘れようとするかのように彼女は戦闘に打ちこみ、のめりこんでいきました。何度か死にかけ、また親友カティヤ(→エカテリーナ・ブダノワ)の支えもあって、立ちなおっていきますが、そのカティヤが戦死します。一ヵ月後、リリーもまた空に散ることになります。最後には八機ものドイツ戦闘機が彼女の飛行機に群がっていったといいます。

 やっぱり、読んでいって、親しみがわいていった人物がが死んでしまうのはつらいですね。でも生きのこったひとも多くいて、あとがきでその後がちらっと見られるのはうれしいところです。

"出撃!魔女飛行隊 WWIIソ連軍女性パイロットたちの群像"
ブルース・マイルズ 著、手島尚 訳
学研M文庫
Amazonアソシエイト

2010年4月11日

聖パウロ

聖パウロ (文庫クセジュ) (新書) 聖書のその文章は誰が書いたのか、なんのために誰にむけて書かれたのか、書いてあることは本当にあったことなのか。そうした文献の研究に基づいて、推定可能なかぎり真実のパウロにせまります。

 こういう文献の分析は西欧ではやはり徹底的に行われていて、その上に、信仰もまたきちんとあるんですね。
 日本では疑いを持たないのがあたりまえで、疑わないことが信仰のように考えられているようで、自分の信仰を語る人はいても、こうしたやり方には出会ったことがなかったのですが、実際に無いということではなくて、望まないから出会わなかっただけなのでしょうね。こうしてこの本が翻訳されて広く読まれているのですから。

  パウロは新訳聖書の著者のひとりであり主要な登場人物のひとりでもあります。重要人物でありながらしかしパウロはかつてキリスト教の迫害者でありました。彼は旅の途中、復活したイエスが自分に語りかける幻視を体験して、キリスト教にめざめることになります。
 布教を進めるパウロは、シナゴーグ(ユダヤ教の教会堂・集会場。中心であるエルサレムの神殿以外の地方の拠点)では反発をうけるようになりますが、ユダヤ人以外の人たち=異邦人には強い支持をうけ、シナゴーグがない町に教会をつくることになります。当時は、キリスト教はユダヤ教内部の一派であり、ユダヤ人(ユダヤ教徒)の共同体の外に教会がつくられるのは、これが初めてでした。異邦人をキリスト教に改宗させることはすでにめずらしいことではなかったのですが、信徒に割礼をさせないなどユダヤ教との結びつきが消えたのも初めてでした。
 パウロの行動はユダヤ人からの強い反発を受け(そもそも裏切り者でもある)、またキリスト教徒からも理解されずエルサレム教会から非難されるようになります。
 教会と和解するためにエルサレムにおもむいたパウロは、直接対決したこともあるユダヤ人たちのグループにみつかってしまい、騒動となります。そして騒動の中心人物としてローマ軍の守備兵に逮捕されます。長い拘留の後、ローマに護送され、皇帝ネロによるキリスト教徒虐殺の際、処刑されることになります(史料が乏しく推定ではありますがこの時期に命を落としたのは間違いないようです)。

 パウロの活動は結局はうまくいかず、その考えも当時のキリスト教から理解されていませんでした。活動の挫折と獄中生活、そして処刑と不遇の生涯をおくりました。
 ただし、初期のキリスト教を作りあげていったひとたちには熱い支持を受けるようになり、語られる者として重要人物となってゆきます。

 一世紀の半ば、ローマにやってきた大金持ちマルキオンが独自の教会を創設し、帝国内にその勢力を広げていきます。彼は、ユダヤの聖書(旧約聖書)は必要がないものとし、ルカによる福音書とパウロの手紙を中心に、自分たちに必要な文書をまとめていきました。これが正典編纂のきっかけとなります。マルキオンの攻勢に脅威を感じた帝国の諸教会は協力し、キリスト教に関わる文章の中から、信徒に必要であるとする文章を認定してゆくこととなります。どれを正典に含むのかは当時はまだ流動的でしたがパウロの手紙はその選択の中にありました。異端とされるひとびとに強い影響力を持っていたため、選択は不可避だったのです(排除した場合、マルキオン派など外部に流れてしまうひとびとが多かった)。こうして、パウロは、すべてのキリスト教徒の目に触れるようになったということです。

 こんなふうに、当時のパウロから、現代までの後世への影響が書かれています。
 とてもわかりやすく、内容は多岐にわたるのにコンパクトにまとめられていて、作者の力量が感じられます。
 説教臭さがないので、歴史に興味があるという方にもおすすめです。

 余談になりますが、キリスト教の創成期にはすでに終末観が蔓延していたそうです。二千年もの間、多くの人々が飽きることなく滅ぶぞ滅ぶぞって思ってきたきたってことですよね。そういえば、終末世言をまとめるとそれは即、予言のハズれリストになるということを『超常現象の謎解き』のサイトで見ました(→こちら)。まじめに信じて怖がっていた人がたくさんいたでしょう。膨大なリストに、笑うに笑えません。終末観が、ひとを魅了するその仕組みはいったいなんなんでしょう。

"聖パウロ"
エティエンヌ・トロクメ
白水社
Amazonアソシエイト

2010年4月 4日

宮城谷昌光 『三国志』 第2巻

三国志〈第2巻〉 (文春文庫) (文庫) 何かが隠蔽されている――これは歪曲された世界だ、と感じ、作者は物語の三国志(三国志演義)への興味を失ったそうです。
 歴史をもとに書かれたこの『三国志』の、劉備がでてくる文章を読んでいくと、物語で失われてしまった部分がだいぶわかりやすく見えてきます。
 劉備は、小さいころ、偉い人が乗っている馬車をみて「俺もああいう車にのれるような大物になるんだ」と豪語していたそうです。親戚がそれをみて頼もしく思い、金を出してやって、自分の息子と一緒に、地元の名士である盧植のもとに通わせます。ところが、劉備は勉強をせず、同じ門下生の公孫瓚にあとにくっついて遊びまわることになります。おしゃれな服が好き、音楽が好き、勉強は嫌い。でかい夢を語る。そんな若者であったわけです。
 学業から早々とドロップアウトしてしまった劉備は、任侠の者として生きていきます。任侠というと自分は古典的なヤクザのイメージがあります。前漢の歴史家、司馬遷は「任侠をヤクザなんかといっしょにするな」と怒っていたそうですが、生活の実質は似たようなものでした。違いといえば、現代のヤクザやチーマー崩れは弱いものをみつけたら骨の髄までしゃぶりつくしますが、当時の任侠は損得を考えずに弱きを助け強気をくじく行動倫理をもっていました(もちろん、司馬遷はそのことをいっているわけですが)。
 劉備が任侠だったと知ると、ほかの武将にはみられない、桃園の誓い・義兄弟というメンタリティも理解がいきます。
 腕っぷしの強そうな大男ふたりを左右にしたがえた劉備。かなりの威圧感です。本人は威張ったりしないタイプだったようですから、どっしりと腹の据わった親分の貫禄をみせつけたことでしょう。
 とはいえ、生活としてはかなり落ちぶれていたようで、師匠である盧植は、黄巾という大規模な反乱を鎮圧するために将軍に任命された際に、劉備には声もかけませんでした。学問はだめだっとしても、戦力にはなると思うのですが。少なくとも国を思う志さえあればいっしょに来い、あるいは劉備から行く、ということがあったと思うのですが、どちらからのコンタクトもなかったようです。また、劉備といっしょに遊んでいた公孫瓚は先んじて官職を得て、劉備が住んでいる地方の行政官となりましたが、劉備に会うことはありませんでした。どちらからも声をかけるのがはばかれれるような状態に劉備がいたことがうかがわれます。
 人物的にも問題があって、やっと戦場に出ることになってもなにもせぬまますぐ負傷しあとは死んだふりをしてやりすごしたり、やっと官職を得たと思ったらこんどは、督郵(とくゆう)という官僚の仕事ぶりを調べる係の人間が自分の担当地域にたまたま立ちよったのに妙にどぎまぎして自分から会おうと面会を求めるのですが断られると激高してむりやり宿に押し入り、縛りあげて200回も杖で叩きのめしてそのまま逃げてしまうという不祥事をおこしています。
 こんな未熟な劉備が、時間はついやしますが、やがては多くの人から支持される立派な皇帝になるというのは、最初から好人物として描かれる三国志演義よりもずっとおもしろいと思います。三国志演義は、劉備をヒーローとして書こうとするあまり、陰の部分を消してしまい、のっぺりとしたよくわからない人物にしてしまいました。よくわからない人物どころか、名前しかない、うつろな存在といってもいいでしょう。
 物語にして脚色するとおもしろくなる部分もでてきますが、なくなってしまうところも多く、劉備に関していえばその魅力のほとんどがうしなわれてしまいました。
 三国志のもうひとつのおもしろさをぜひとも体験していただきたい。

"三国志〈第2巻〉"
宮城谷昌光
文春文庫
630円
Amazonアソシエイト

2010年4月 2日

カール

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 カエル。
 ……だじゃれなのかっ!