2010年4月 4日

宮城谷昌光 『三国志』 第2巻

三国志〈第2巻〉 (文春文庫) (文庫) 何かが隠蔽されている――これは歪曲された世界だ、と感じ、作者は物語の三国志(三国志演義)への興味を失ったそうです。
 歴史をもとに書かれたこの『三国志』の、劉備がでてくる文章を読んでいくと、物語で失われてしまった部分がだいぶわかりやすく見えてきます。
 劉備は、小さいころ、偉い人が乗っている馬車をみて「俺もああいう車にのれるような大物になるんだ」と豪語していたそうです。親戚がそれをみて頼もしく思い、金を出してやって、自分の息子と一緒に、地元の名士である盧植のもとに通わせます。ところが、劉備は勉強をせず、同じ門下生の公孫瓚にあとにくっついて遊びまわることになります。おしゃれな服が好き、音楽が好き、勉強は嫌い。でかい夢を語る。そんな若者であったわけです。
 学業から早々とドロップアウトしてしまった劉備は、任侠の者として生きていきます。任侠というと自分は古典的なヤクザのイメージがあります。前漢の歴史家、司馬遷は「任侠をヤクザなんかといっしょにするな」と怒っていたそうですが、生活の実質は似たようなものでした。違いといえば、現代のヤクザやチーマー崩れは弱いものをみつけたら骨の髄までしゃぶりつくしますが、当時の任侠は損得を考えずに弱きを助け強気をくじく行動倫理をもっていました(もちろん、司馬遷はそのことをいっているわけですが)。
 劉備が任侠だったと知ると、ほかの武将にはみられない、桃園の誓い・義兄弟というメンタリティも理解がいきます。
 腕っぷしの強そうな大男ふたりを左右にしたがえた劉備。かなりの威圧感です。本人は威張ったりしないタイプだったようですから、どっしりと腹の据わった親分の貫禄をみせつけたことでしょう。
 とはいえ、生活としてはかなり落ちぶれていたようで、師匠である盧植は、黄巾という大規模な反乱を鎮圧するために将軍に任命された際に、劉備には声もかけませんでした。学問はだめだっとしても、戦力にはなると思うのですが。少なくとも国を思う志さえあればいっしょに来い、あるいは劉備から行く、ということがあったと思うのですが、どちらからのコンタクトもなかったようです。また、劉備といっしょに遊んでいた公孫瓚は先んじて官職を得て、劉備が住んでいる地方の行政官となりましたが、劉備に会うことはありませんでした。どちらからも声をかけるのがはばかれれるような状態に劉備がいたことがうかがわれます。
 人物的にも問題があって、やっと戦場に出ることになってもなにもせぬまますぐ負傷しあとは死んだふりをしてやりすごしたり、やっと官職を得たと思ったらこんどは、督郵(とくゆう)という官僚の仕事ぶりを調べる係の人間が自分の担当地域にたまたま立ちよったのに妙にどぎまぎして自分から会おうと面会を求めるのですが断られると激高してむりやり宿に押し入り、縛りあげて200回も杖で叩きのめしてそのまま逃げてしまうという不祥事をおこしています。
 こんな未熟な劉備が、時間はついやしますが、やがては多くの人から支持される立派な皇帝になるというのは、最初から好人物として描かれる三国志演義よりもずっとおもしろいと思います。三国志演義は、劉備をヒーローとして書こうとするあまり、陰の部分を消してしまい、のっぺりとしたよくわからない人物にしてしまいました。よくわからない人物どころか、名前しかない、うつろな存在といってもいいでしょう。
 物語にして脚色するとおもしろくなる部分もでてきますが、なくなってしまうところも多く、劉備に関していえばその魅力のほとんどがうしなわれてしまいました。
 三国志のもうひとつのおもしろさをぜひとも体験していただきたい。

"三国志〈第2巻〉"
宮城谷昌光
文春文庫
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