宮城谷昌光 『三国志』 第5巻
この巻では、曹操対袁紹の決戦がおこなわれます。
物語の始まりは、対決よりもすこし前からとなり、袁紹は、公孫瓚を追いつめ、北東一帯を手中におさめ、この時点で最大の勢力になっていました。
この公孫瓚、劉備の学友であり、いっしょになって勉強もせず遊びまわっていた人物で、一時期は白馬将軍などと呼ばれ名声を高めておりましたが、やがて性格の悪い部分をどんどん表に出すようになります。金持ちや高貴な生まれの人物をみるとかならずいやがらせをする。それは、そういう人に良くしてやったりしても、それを当然と考え、感謝しないからだ、ということらしい。そして、あまりできのよくない、つまらない人たちばかりを優遇していました。また、部下も助けにいかない。それは、救援をあてにして戦わなくなってしまうからだ、ということで、こんなことばかりしていたので、人は彼から離れていくようになりました。袁紹に追われ、岩壁の割れ目に鉄の扉で門をこしらえ引きこもってしまいます。十年もこもっていれば、みんな争いあって滅びてしまうよ、と公孫瓚は思っていたようです。もうそんなやつ放っとけばいいのに袁紹はそこをしつこく攻めつづけます。うんざりした公孫瓚は援軍を求め使者を送りますが、その使者は袁紹軍に捕らえられ、公孫瓚をひっかける計略に利用されて、援軍が来たとおもって外に出てきた公孫瓚の軍勢は壊滅。公孫瓚はなんとか逃げもどりますが、その後、頭がおかしくなり、さいごは家族をころし、自らの命を絶ってしまいます。惨めで悲惨極まりない公孫瓚ですが、若き日の栄光と転落、小さな器、狂気、――物語の題材としてはおもしろそう。
他方、曹操はというと、軍事上の要衝である都市・宛を押さえるための遠征で、賈詡の策をうけた張繍の奇襲を受け大敗、多くの兵を死なせ、長子・曹昂と頼りにしていた親衛隊長の典韋を失いました。
張繍は、前の族長である今は亡き張済の妻を曹操が妾にしたので恨み、それを曹操が知って殺そうとしたので奇襲をかけたということになっていますが、宮城谷版の三国志ではそのエピソードはとりあげられていません。降伏時に兵を移動させるといつわっての奇襲となっています。なぜとりあげられなかったかは不明。張繍はあとでまた曹操に降伏しわりとすんなりと部下になっているので、近親者を絡めた確執があるこのエピソードは不自然な気がします。曹操にしても、女性関係での失敗はこれだけのようですし、降将の一族に恥をかかすようなまねをするようなタイプでもありません。
なお、このとき袁紹は敗れた曹操にむけて皮肉をこめた手紙を送ったそうです。いやなおっさんです。
皇帝である、献帝は、やはりというかもはやというか、質が悪い。後漢を崩壊させていった悪癖をまだつづけています。曹操に保護されたと思ったらすぐ、その曹操を殺そうとしています。国や民のことは考えておらず、皇帝なんだから自分が一番だろみたいなことばかり、しかも情勢がまったく見えていません。曹操を殺したら、袁紹が来て、もっと悪い状況になります。傀儡ならまだしも、早い時期に殺されてしまっていたでしょう。仮に袁紹がこなかったとしても、曹操の暗殺をおこなった者たちが実権を握ったことでしょう。
劉備はあいかわず逃げ足が速い。勝てないとわかると即です。しかも、すべてを捨てて、ひとりで逃げてしまうのがまたすごい。関羽が曹操の部下になるエピソードは有名ですが、これもひとりで逃げてしまったからです。なんの指示ものこしていかなかったので関羽はもうどうしようもなくなってしまっています。よく呆れてしまわなかったものだと思います。
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すぐ裏切ってしまうのも特徴なのですが、これは、自分が主人である(上に立つ)という意志が強かったせいなのだと思います。将来、大成するにせよしないにせよ、危険な存在です。曹操の参謀らが劉備を始末してしまおうと進言するのも納得がいきます。
勉強もぜんぜんしないし、「御輿(みこし)は軽くてパーがいい」というのは言い得てる言葉なのかもしれません。



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