2011年8月 4日

宮城谷昌光 『三国志』 第9巻

三国志〈第9巻〉 孔明の活躍がみられる第9巻です。

 「孔明の罠だ!」
 でおなじみの諸葛孔明は、実際には正攻法で戦うひとでした。
 最初に魏を攻めたときは下手でしたが、段階を追って戦いがうまくなっていきます。

 その最初の戦いで、諸葛亮がひいきにしていた部下の馬謖がミスを犯します。兵法書の『孫子』に「水のそばはダメ、とにかく上がいい」と書いてあるんだからこれが一番と、仲間の反対がありましたが押しきって、山の頂上に陣を構えます。馬謖の軍は敵に包囲され、そして飲み水が絶たれた状態になってしまいます。馬謖の軍は士気が下がり、万全な準備をととのえた敵軍にまったく歯が立たず潰走。馬謖は逃げる際になんの指示もださなかったため、このまま全滅か? とも思われましたが、馬謖が山の頂上に陣を構えるのに反対して自分の配下だけを連れて山を下りていた部下の王平が敵軍を遮り、窮地を救われます。
 
 馬謖がおさえるはずだった場所・街亭は、魏が北西へ軍を送るときに通る道にあって(北側に遠回りになる)、ここを通られてしまうと、中央と北西部を分断し北西部を離反させる作戦がうまくいかなくなり、諸葛亮の本隊が孤立し補給を断たれる可能性もあるために、早々に撤退。諸葛亮の戦争は初手から失敗ということになりました。

 馬謖は処刑。敗戦の全責任を取らされます。責任転嫁の部分もありますが、諸葛亮がアウトだと蜀という国もアウトになるので、おそらく、誰も文句をいわなかったのだと思います。

 この戦争は、連携がまったくとれていなかったり、北西部に別働隊を送ったりしており、手を広げすぎたきらいがあります。諸葛亮の作戦ミスも大きいでしょう。

 頭の中だけで事を進めすぎたのは馬謖も諸葛亮もいっしょです。

 馬謖への罰は、降格するぐらいがよく、処刑する必要はなかったと思います。諸葛亮がそうであったように、敗戦の経験を糧に戦をかさねていけば馬謖も強くなったかもしれません。

 孔明は馬謖の処刑に際して涙を流し、それが「泣いて馬謖を斬る」という故事になったそうですが、これは理解できません。馬謖をまるで自分の(分身の)ように感じていたのなら、(いいわるいはべつとして)、少しは理解できる気がするのですが、この故事について一般でいわれているような理由で涙を流していたのならば、ここだけ孔明ではない、まるで別人のように感じます。

◆参考リンク◆
「電網将校参謀本部」内『孫子の兵法 完全版』→こちら
「姜維戦争全史」内『228年、第一次北伐(諸葛亮) 』→こちら、『228年、街亭会戦 』→こちら

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