2010年3月 5日

バットマン:ダークナイト

DARK KNIGHT バットマン:ダークナイト(ケース付) (SHO-PRO BOOKS) (大型本) 引退して10年、ブルース・ウェインは、トラウマにつきうごかされ、バットマンとしてよみがえる――。国家はしかし、かつてのようなスーパーヒーローの存在を望んではおらず、多くのヒーローたちは引退するかもしくは捕まって監禁されていた。もっとも有名なヒーローであるスーパーマンは政府と契約を交わし、その配下となることでヒーローとして生きながらえていた。……

 バットマンのコミックです。『バットマン:ダークナイト・リターンズ』と続編の『バットマン:ダークナイト・ストライクス・アゲイン』が収録されています。『ダークナイト』というバットマンの映画がありますが、直接的な関係はありません。このコミックが発表されたのはティム・バートンの『バットマン』の前で、映画シリーズはこのコミックが人気を博したことによります。

 『バットマン:ダークナイト・リターンズ』は、反社会的とみなされながらも揺らぐことなく正義を遂行するバットマンと、政府の意向にそって行動するスーパーマンの決戦を描きます。
 社会の底辺に押しやられ犯罪集団となっていたミュータントたちに力を示し束ね自分の部下としていくバットマンは、部族の族長のようで頼もしく、腐敗した王朝に反旗を翻す古代中国の英雄のようでもあります。タフであり、幾多の妨害を受けながらも粘り強く正義の火をともし続けるすがたは、もはやすっかり諦めきられてしまったこの世界のヒーローにふさわしい。

 後半の『バットマン:ダークナイト・ストライクス・アゲイン』は、15年後に作られた『バットマン:ダークナイト・リターンズ』の正式な続編です。作品の出来は良くありません。
 絵柄はポップで、それ自体はよいのですが、コマが大きくなるほど単純化され、さらに構図もまずくなっていくので、かなり残念な絵になります(一部、彩色に救われているが)。
 ストーリーは、DCコミックのたくさんのヒーローたちが説明なしで入れ代わり立ち代わり登場してくるため戸惑わされます。知識があればまた評価が違ってくると思いますが、知らないとわけがわからなくなっていきます。推測もこれほど短期にたくさんでてくると追いつきません。窮地の打開策が伏線なしに新兵器・新たなヒーローの登場となる場合が多く、ほとんどその場での処理となり、
展開が非常に直線的です。内容も、『ダークナイト・リターンズ』にみられる社会との軋轢から正義が悪とみなされてしまう複雑さとそれとの戦いだったものが、今回は、政府を裏で支配している「悪者を倒す」という、一周まわってもとにもどってきてしまったもののとなっており、さらに作者がもそのことを自覚してないようにも思えるので、いささか退化してしまった印象をうけます。
 できれば『ストライクス・アゲイン』を読まずに本を閉じてしまうことをおすすめします *1

"バットマン:ダークナイト"
『バットマン:ダークナイト・リターンズ』 脚本: フランク・ミラー、作画: クラウス・ジャンセン、彩色: リン・ヴァーリイ
『バットマン:ダークナイト・ストライクス・アゲイン』 脚本・作画: フランク・ミラー、彩色: リン・ヴァーリイ
小学館集英社プロダクション
3990円
Amazonアソシエイト
*1: ヒーローたちの知識があればこれもまた評価が違ってきそうです。古いヒーローたちの復権と読めないこともないからです

2010年2月17日

宮城谷昌光 『三国志』 第1巻

三国志〈第1巻〉 (文春文庫) (文庫) 著者の宮城谷昌光は、師匠の立原正秋に「必然性のない漢字を使ってはならない」といわれたそうです。ただ使いたいからというだけでむずかしい漢字の言葉を書いていたりしたのでしょうか。著者の略歴をみると、英文科卒で、作家としては恋愛小説から始め、歴史に興味が移り、歴史小説を書くようになったということなので、著者がその言葉を言われた時期に、中国の古い書物にどれだけ接していたかわからないのですが、中国の言葉が漢字だけでできていることをかんがえると無駄に漢字を使うということは、極端な話、無駄な文章を書いているのに等しい。その言葉が好きで敬意を表しているのなら、してはいけないことの第一となるのは必然でしょう。
 中国の古典を学んでいるものでなくとも、漢字が多くなる文章を書くきっかけはあるもので、よく男子は中島敦にあこがれて古いスタイルの文章を書いたりします *1 。『山月記』が国語の教科書にのっているので、そこから単行本を読みふけるようになり、文章をまねるというのが、文学少年の鉄板のパターンです。そうでなければ福田恆存でしょうか。「現代かなづかい」を批判し「歴史的仮名遣」がどれだけ優れているかを説いた人物です。こちらは多分にマニアックに本を読んでいった男子のパターン。評論とか理屈が好きな男子ですね。
 そんなことがきっかけで、古いスタイルの文章を書くと、その評判はたいがいにおいて「難しい漢字を使っている」となります。「かっこいい」でもなく「漢字の使い方がうまい」「漢字がわかっている」でもなく「難しい」。
 どういうことかというと、つまるところ読まれていないんです、全然。表面でひっかかってしまって、まったく中に踏み込まれていない。そんなさんざんな目に遭って(いることには当時は気がつかず)古い文章というマイブームは終わるわけです。
 こんないわゆる中二病みたいな古い文章ブームは現代っ子だけにあるわけではなくて、江戸時代にもあったようです。古典文学の現代語訳をしている歌人の須永朝彦さんは『江戸の伝奇小説3 飛騨匠物語・絵本玉藻譚』の巻末で『飛騨匠物語』と作者・石川雅望(いしかわまさもち)についての解説として以下のように書いています。

ただ原文は、他の読本の作『近江県物語』『天羽衣』共々雅文というか擬古文なので、あまり読み易いものではない。国学を修めると擬古文の物語を書いてみたくなるものなのか、本居宣長の『手枕』、建部綾足の『西山物語』、村田春海の『つくし船(竺志船物語)』、四方歌垣の『月宵雛物語』など、この手のものは幾つも想起されるものの、どれも上々の作とは申し難い。本作の文体も、聊か徹底に欠けるところが目につき、作者の蘊蓄の傾け方、即ち隅田川についての講釈を挿入した箇所など、その手際は京伝・馬琴のそれに及ばない。

 文章のスタイルが中途半端につくられていると、読んでいったときに文章に段差ができて、もともと読みにくいものがさらに読みにくくなってしまうのは確かなようです。古い言葉を現代の感覚でこねまわして見ただけでは、みっともないものができてしまうだけで、古い言葉をつかってはいるけれど、それはじつはもっとも新しい言葉なのだ、これは最新の文章の創出なのだ、という心構えが現実には必要なのでしょう。

 さて、宮城谷昌光さんの『三国志』の文章は、というと、難しい漢字の単語がありはするものの、さくさくと読んでいけます。まず、ふりがながふってあるというのと、字面で意味がとりやすいことが読みやすさの第一で、それから、文章の運びが読みやすさを生んでいます。
 たとえば、「凋弊」という言葉がでてきます。これがいきなりでてきたら、読めないし、意味をとることも困難です。これに「ちょうへい」というふりがながふってあっても事態はほとんど変わりないでしょう。『三国志』の中では「前漢のはじめに匈奴の猛威にさらされてみるかげもないほど凋弊した」となっています。「猛威にさらされて」と「みるかげもないほど」が「凋弊」にかかっているので、その言葉を知らなくても、なんとなく意味がわかるようなつくりになっているというわけです。ただし、難しい言葉をわかりやすくするためにそうしているんではなくて、もともとそういう文章なんですね。言葉がたがいに意味をじゃましあわない。相互にうまく関係し合っている。音楽的な意味で調和がとれています。
 そのほかの特徴としては、この『三国志』は俯瞰で描かれてします。筆者は、登場人物にならずに、登場人物を観察する立場ですべてを書いていきます。
 これは一般的には「説明」といわれる文章です。小説家志望のひとたちのあいだでは説明の文章はダメといわれます。つまらないから。でも、おもしろいんですよね、この小説は。
 ようは、説明の文章も、おもしろく書けば、ぜんぜんだいじょうぶなわけです。たいていの場合、説明は、たんたんと一本調子で書かれているんでおもしろくないんですよね。ほかのところだと、緩急をつけたり、オチをつけてみたり、言葉遊びをしたり、リズムをつけたり、自然にいろいろと工夫を凝らしているのに、説明というところだけはなんにもしないんですから、おもしろいはずがありません。
 
 と文章のことばかり書いてしまいました。内容については次巻のところで書いていきたいと思います。

"三国志〈第1巻〉"
宮城谷昌光
文春文庫
630円
Amazonアソシエイト
*1: 女子はどうなんだろう?

2010年1月 2日

戦術と指揮

戦術と指揮―命令の与え方・集団の動かし方 (PHP文庫) (文庫) 右に折れる道があり、部隊をどこに配置したらよいか、カーブの前か、カーブの後か、それともちょうど曲がり角か? そういう基本的な用兵がわかる本です。

 さがしてみると意外とこういったことを教えてくれる本はなく、たいへん助かります。

 ゲーマーにおすすめですが、いつかどこかの国に攻めこまれたとき、仲間を守るために役立つ知恵になるかもしれません。いくら平和になっても暴力は力だから。いや、平和になるほど力は増すかな。対処の仕方を知らないし、話せばわかってくれるとかいって無抵抗だし。暴力に屈せぬためにも暴力をよく知っておくことが大切です。

"戦術と指揮―命令の与え方・集団の動かし方"
松村 劭
PHP文庫
740円
Amazonアソシエイト

2010年1月 1日

フロム・ヘル

フロム・ヘル 下 (単行本(ソフトカバー))フロム・ヘル 上 (単行本(ソフトカバー)) 切り裂きジャックを描いた長篇コミックです。犯人像・事件背景はスティーブン ナイト『切り裂きジャック最終結論』を元にしているそうです。犯人を推理した"切り裂きジャック本"のひとつで、王族の隠し子をネタにおどして金をとろうとした娼婦たちが口封じのために殺されたのだというのがその主張になります。口封じにはフリーメーソンが深く関与し、そのメンバーで、女王の主治医である実行犯であるとしています。発表当時は、オカルト本で有名なコリン・ウィルソンが絶賛するなどして話題となりましたが、しばらくすると評価は急降下し、こき下ろされるようになります。この本は、綿密な調査の結果をもとにしているのではなく、"王族の隠し子の息子"を自称する人物の話を根拠にしており、事実かどうかはともかく、話としてはおもしろく、『フロム・ヘル』の作者はそこに魅力を感じたようです。『切り裂きジャック最終結論』をどう評価してどう用いたかは、下巻の巻末に作者による注によって知ることができます。けっこうな量がありますが、創作の秘密に触れられることもあって、けっこうたのしく読んでいけます。

 絵は細い線で描かれていて写生画よりのタッチ。デッサンがやや崩れたりもしているところがいい味になっておりドキュメンタリーであるかのような空気を生みだしています。

 物語を構成する要素のひとつひとつは、それほど目新しいものはありません。たとえば、「犯人である医師が幻視を体験し、ある種、宇宙的な、場所にも時間にも縛られない視野を得て、一時的にでも超越的な存在となる」というクライマックスも、日本の創作物に普段からふれていればめずらしいものではありません。『攻殻機動隊』のラストで主人公の草薙素子が体験する"ネットワークの海(宇宙)"などがあります。手塚治虫の『火の鳥』にもこういう結末があります。神憑り的にすべてを悟るクライマックスは、新しいどころか"伝統的"という言い方が似合う物語のパターンです。
 そういった要素の単純な目新しさではなく、語りの方法と物語の構成によって、深い味わいと満足いく読みごたえが作られています。

 ところで、作中、犯人である医師が、共犯となる自分の御者をつれて、ロンドンを案内します。御者はもちろんロンドンにはくわしく、わざわざふつうの案内をされる必要はありません。建築家ニコラス・ホークスムアの建てた教会の秘密の意匠を見せてまわるのです。
 その道すがら医者が語る話に、古代の女権社会の残酷性があります。報復のためにいくつもの町を焼きつくし廃墟にし住民を皆殺しにした、ケルト人イケニ族の女王ブーディカとりあげられます。ロンドンの地層にはその時の記録が半インチの黒い帯として残っているのだそうです。そのような力の奔放な反乱を抑えるために父権社会がつくられたのだと医師は主張します。
 一部のフェミニストは、戦争は男社会のせいだ、みたいなことをいいますが、逆の意見もこんなふうにでてくるんですね。
 嫌なことはみんな他人のせいにするわけです。

"フロム・ヘル"上下巻
アラン・ムーア 作、エディ・キャンベル 画、柳下毅一郎 訳
みすず書房
各2730円
上巻Amazonアソシエイト
下巻Amazonアソシエイト

2009年9月12日

自民党はなぜ潰れないのか

自民党はなぜ潰れないのか―激動する政治の読み方 (幻冬舎新書) (新書) 『参議院なんていらない』に続く政治ウラ話対談集。自民党は先日、壊滅的に負けていますが、書いてある内容はまだまだ役に立ちます。特に細川政権の成り立ちと潰れていく過程がくわしく書かれているので、これから民主党政権がどうなっていくのかを見るのにちょうど良い参考書となるでしょう。

 細川政権の終焉については、亀井静香がゲストに招かれ、政権打倒の工作を披露。なかなかの策士です。テレビの討論番組で竹中平蔵を追い込んだことがあるそうですが、けっこうな切れ者だったんですね。

 このところ、テレビ朝日が、細川政権をつぶしたのは小沢だ、小沢がいたら民主党も二の舞だ、とやっていて、武村正義を呼んで発言させたりしていましたが、武村さんあなた犯人じゃないですか。細川さんも「武村は最初から倒閣を狙っていた」と言っていたそうです。小沢バッシングは、自民党が、小沢をやれば民主党はおしまいと考えて始めたもののようですが、朝日の小沢叩きはどういう意図があるのでしょう。
 今の政界再編、二大政党制のもとになったのは、リクルート事件で退陣することになった竹下内閣が去り際に残した「政治改革大綱」という政治改革案で、これを実行していったのが自民党の羽田、小沢です。
 小沢を評価するならともかく、叩く方向へいくのは、筋が通らないと思います。
 しかしながら、ここまでやってきたのは結局ほとんど自民だった‥‥というのはおもしろい話ですね。

 こういうウラ話の本が出ると、新聞記者などは、そんなことは最初から知っていたよ、というんだそうですよ。それならなんで、最初からそれを書かなかったのかをお聞きしたい。まったく、ジャーナリズムはだめですよね。

"自民党はなぜ潰れないのか―激動する政治の読み方"
村上正邦、平野 夫、筆坂秀世
幻冬舎新書
819円
Amazonアソシエイト
オンライン書店ビーケーワン

2009年8月24日

もっと大きく広い視点でみる近代史

 雑誌『Will』の9月号(2009年)で、現代史をもっと俯瞰的、広範囲に見る試みがなされていました。西尾幹二、福井雄三、福地惇、柏原竜一による対談です。

 日露戦争というのがありますよね。日本とロシアとの戦争です。露は今のロシアではなくソ連の前の皇帝がいた頃のロシアです。満州を支配下に置き、さらに南下して朝鮮そして中国(清)を狙いにかかっていました。そこで、日本と衝突します。

 日本とロシアの戦争といっても、ほんとうに日本とロシアだけの戦争ではなく、日本にはイギリスが関わっています。日本国内ではロシアと戦おうという世論が高まっていましたが、政府としては列強と戦うだけの力はないだろうという考えが大勢を占めていました。戦争を避けるために日本はロシアに交渉を持ちかけますが、ことごとく無視されます。ロシアにとっては日本などべつに相手にもならない小国だっったのです。
 そこにイギリスとの同盟話が持ち上がります。願ったり叶ったり、これでロシアとの対決が望めます。
 イギリスにとってロシアは自国の利権を脅かす恐ろしい存在でした。利害調整の交渉の場にも立ってくれません。そこで、義和団事件で活躍した日本をロシアにあたらせようとしたのです。だから、日露戦争は、イギリスの代理戦争の側面も持っていたといえます。

 ロシアは当時フランスと同盟を結んでいたので、この戦争は、「日英同盟」対「露仏同盟」の戦いでもありました。
 しかし、開戦2カ月後にはイギリスとフランスは英仏協商とよばれる植民地政策における協定を結びます。植民地での両国の戦争を避けるためのものです(イギリスとフランスはモロッコとエジプトで対立していた)。同時にヨーロッパでのイギリスとフランスの直接対決を防ぐ役割も持っていました。日露戦争においては、フランスの動きはこの協定によって完全に封じられました。

 日露戦争は、日本の勝利に終わります。日露戦争終結後は、強気一辺倒だったロシアが方針転換したため、英露関係は改善し、英露協商が結ばれました。これによって、英仏協商と露仏同盟と合わさってイギリス・フランス・ロシア、三国が協力する体制になっていきます。

 イギリスは、日露戦争によって、非常に有利な立場を得ました。中国の利権も守れたし、長年対立していたフランスと和解でき、戦争前にはヨーロッパでどの国とも協力関係がなく孤立していたのに今は強力な同盟関係ができあがりました。

 日露戦争は、ロシアの南への野望を止め、ヨーロッパ(バルカン半島)へと矛先をむけさせることとなったので第一次大戦の引き金にもなっています。また、ロシア国内の乱れはロシア革命を引き起こすことにもなります。また「イギリス・フランス・ロシア」の協力体制は、そのまま第一次世界大戦の図式となっています。この三国が「ドイツ・オーストリア・イタリア」とヨーロッパを二分して対決するわけです。

 いやー、ダイナミズムですよ。日本の動きは、世界に影響を与えたわけです。単純に近隣だけの問題ではありません。世界に影響をあたえ、また世界も日本へと打ち寄せてきました。

 こうしたことが前述した対談で述べられています。
 近代史というと、もう、日本の侵略だ、いや侵略ではないとか、南京大虐殺がどうだとか、それだけをいつまでもいつまでもいつまでもやっていることが多かったし、そうでないものというと個人史・体験談になってしまいます。個人史・体験談には良いものがくさんありますが、それだけだと、大きな流れが見えてきません。気温が高い、暑い、暑い、いってるだけだと、地球温暖化とか大きな構造が見えてこないようなものです。解決策があるかもしれないのに。

 ウヨクでもサヨクでも日本を好きでも嫌いでも、どんな立場の人とっても、こういう見方は得るものが大きいと思います。どんどんやっていってほしいです。

参議院なんかいらない

参議院なんかいらない (幻冬舎新書) (新書)  元参議院議員で論客としてならしたベテラン3人による対談です。理屈よりもまず実際にあったできごとが語られ、いまだから話せる裏話やスキャンダルもちりばめられ、とてもおもしろく読んでいけます。たのしみながら、一般的な報道では見えてこない政治の実情を知ることができる読み物になっています。

 小泉純一郎によって殺された参議院。郵政民営化法案が参議院で可決されなかったら衆議院を解散する、という、議会軽視、手続き無視によって、選挙を行い衆議院で3分の2以上の議席を確保し強大な力を得ました。
 手続き無視ってことは、民主主義を無視ってことなんだよ?
 なんでこんな人がまだ人気者なんでしょう? 完全に独裁者ルートですよね。しかも、大企業のための政策ばかりですよ。むち打たれてひーひー言わされてキャーキャー歓声あげてるなんて、ホント、どんだけだよと思う。

 だめになったとはいえ、そんな参議院を、どうにかしようという提言も後半になされています。
 小泉政治のような、わーっと流されていってしまう民主主義の欠点を補う役割、政治のプロとしての役割(子供の無駄遣いなどをたしなめる親のような存在。みんな楽しい方がいい、難しいより簡単な方がいい、好きなことだけしたいからね。でもそれだけじゃあダメになっちゃう、それをいわなければいけないひとが必要なのだ)をどうしたら担うことができるのか。
 理屈は考えて言ったりできるけど、具体的にいまの参議院をどうしていったらいいかを言うのは難しい。そのためのよい参考資料になると思います。

"参議院なんかいらない"
村上正邦、平野貞夫、筆坂秀世
幻冬舎新書
756円
Amazonアソシエイト
オンライン書店ビーケーワン

2009年7月19日

検閲 1945-1949 禁じられた原爆報道

Amazon.co.jp: 検閲 1945‐1949―禁じられた原爆報道: モニカ ブラウ, 立花 誠逸: 本 アメリカの検閲の恐ろしさは検閲していることを隠したことにあります。
 戦時中の日本の検閲がよく知られているのは、文字を黒く塗りつぶしたり、逆に文字を消して白紙のページができたりしていたからです。黒く塗られた部分や空白部分をみれば、読む人は、これは検閲されたのだなということがわかります。アメリカはそれを許しませんでした。

 作者のモニカ・ブラウは、広島と長崎に落とされた原爆のことが、自分の住むスウェーデンでほとんど気にもとめられていないのは、自国民の無関心と怠惰のせいだろうと考え、自分がこの知識不足を補おうと生存者へのインタビューを始めます。そして、当時アメリカによるきびしい情報制限があったことを知ります。

 アメリカは、日本に自由をもたらしに来たと言いながら、実際には依然とかわりばえしないかそれ以上の不自由を課してきました。見た目にはそうでないように装われて。

 海外との情報は遮断され孤立させれます。
 戦争は、すべてが日本のせいであり、過去の日本は悪であったと日本国民に植えつけることが基本方針となります

 この方針は、アメリカがソ連などの共産勢力と対立を深めたことで反共産主義・反ソ連へと変わります。目的が途中で変わってしまうわけです。日本人に罪悪感を持たせて骨抜きにするのはまあ占領政策としてわかりますが、反共はアメリカの都合です。

 また検閲の基準がまちまちであったことも指摘されています。これは命令系統がひとつではなかったことが理由とされています。

 原爆についての情報は、最新兵器であったために情報が遮断されました。
 治療にあたっても被爆というのがこれまでなかったものですから他の医師に意見をもらいたいというのがありました。しかしそれはかなわずかなり苦労されたようです。医師たちに対する被爆者側からの印象も「研究対象にされるだけ」というのが多いのも、どう治療していったらよいのかわからなかったという医師たちの状況が主な原因になっていたわけです。

 現在、この本は品切れになっており、ネットでは2,3倍の値段で取引されています。(図書館で読むのがよいでしょう)。
 復刊、文庫化を望みます。

"検閲 1945-1949 禁じられた原爆報道"
モニカ・ブラウ
時事通信社
2000円
Amazonアソシエイト

2009年7月16日

自白は王様

 証拠となっていたDNA鑑定がまちがいであることがわかった足利事件のいきさつをみて、証拠としての自白について佐藤優さんが雑誌のコラムでけっこう怖いことを書いていました(月刊Will 2009年8月号「猫はなんでも知っている」第16回)。

 それは、足利事件に、もし、物証の証拠がなく、供述だけで事件が構成されていたら、冤罪を証明することができなかったであろう、ということ。
 自白と目撃者の供述できっちり作られてしまったら、もはや、手も足もでない。‥‥この恐ろしさ。
 「自白は証拠の王様」というのはこのことなんですね。

 元警視庁警視のお話が載せられていますが、警察でも、物証を基本に組み立てた事件は公判で崩れやすく、自白と証言で組み立てられた事件はまず崩れない、という認識があるようです。自覚的にその技法を活用しているかどうかはべつとして、少なくとも経験則でそうであることはわかっている。

 また佐藤優さんは、今回のことを批判している新聞が、実際は冤罪を作る側に荷担していた認識がまるでないことを強く非難しています。
 そういえばオウム真理教の毒ガステロのひとつ「松本サリン事件」の報道もそうでしたね。被害者である無実の人間を疑わしい、疑わしいとくりかえして犯人であるかのようなイメージを刷り込んでいました。
 ご用心、ご用心。
 そういえば、衆議院議員(茨城三区)の葉梨康弘も「自白は証拠の王様」っていっていたなー。こんなとんちんかんな論法で話すんですか? 葉梨康弘先生は。「葉梨は、次の選挙を見据えて名前を売りたいだけ」という話もありますが、刺激的に言葉を飾るブロガーや雑誌ライターならともかく、政治家の論法じゃあないよねー。ご用心ご用心、です。


 しかし、Willは、連載コラムが充実していますね。佐藤優さんのものもそうですが、曾野綾子さんの「小説家の身勝手」も、"鋭い"というポーズは見せずにどこかべつのところを見ているかのように、ゆらゆらっとしてるんですが、いつのまにやら、あっという風景を掲示して、見落としていた意外な問題点にきづかせてくれます。文芸春秋の編集長だった堤堯さんの巻末コラムもおもしろくて、これだけでも毎号買う価値があります。

2009年7月 4日

塩野七生による日本のキリスト教とヨーロッパのキリスト教

 塩野七生さんと堤堯さんとの対談がおもしろかった(月刊誌WILL別冊・季刊『歴史通』4月号もしくは『WILL』6月号に一部掲載)。

 宗教に関して示唆に富む発言が多くありました。

 たとえば、一神教と多神教というのは、神の数の違いではなく、ほかの人がほかの神を信仰しているのをみて別にかまわないというのが多神教。ローマ神話の多神教はほかの民を征服していってそこの神を合わせていったもので、自分の中で増殖していった日本の八百万(やおよろず)の神とはじつは性質がちがっているのだということ。

 また、日本のキリスト教者は辺境のキリスト教徒だから純粋に残ったといっております。遠藤周作が創作の課程で汎神論・多神教的方向へ移行していったことも、ヨーロッパからしてみれば、まだそんなことをいっているのか、というふうなこと。信仰を捨てる=棄教の問題もべつにふつうのことで、棄教する人を復帰させるマニュアルがあるくらいで、棄教自体が問題になることなんてないんだそうです。
 なるほどと思いました。ひとえに信仰することだけが大事みたいな(日本のキリスト教との)スタンスはそういうことからきてたんですね。

 マキャベリとルターの違いについてもおもしろく、一千年のキリスト教支配は人間を一つも良くしなかった→マキャベリは、宗教で人間を変えることは不可能だから、変わらない人間の本性を直視してそれに適した対策を考えることを主張。ルターは神と信者のあいだに聖職者がいたために真の宗教の浸透の妨げになっていたと考え宗教改革をおこない、それがプロテスタントとなったわけです。
 で、その後500年たちました。人間は変わったかといわれると、(笑)ですよね。マキャベリが正しかったというわけです。

 うーん、ずっと塩野七生は避けてきたけど(塩野七生を好きだといってる人が嫌いだったから)、これを読んで興味がわいてきました。