2011年10月23日

宮城谷昌光 『三国志』 第10巻

三国志〈第10巻〉 この10巻での大きなできごとは、諸葛孔明の死。大軍を率いて魏の領内で停止。そのまま何かを待っているうちに病に倒れます。

 守りを固めたまま、ずっと何を待っていたのでしょう。
 まずは呉軍です。呉は3ヵ月後という遅い段階で軍をだし、しかも早々に撤退してしまいます。
 対する魏が攻めてくるのを待っていたのでしょうか? 魏の軍隊を率いる司馬仲達は対峙したまま動かずにいました。
 魏での反乱でしょうか? これまで何度も孔明は攻めてきては撤退をくりかえしているので静観したまま動きません。

 史実の孔明は、頭が良いひとではありましたが、奇策をもちいることはありませんでした。このまま何も起こらない、撤退するしかない戦争をおこして、どうしようというのでしょう?

 孔明が病死し撤退、後を追った魏軍が追撃をきりあげると、蜀の人民は「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」と揶揄したそうですが、これはほとんど負け惜しみでしょう。

 蜀軍は、撤退時から、魏延と楊儀が対立して戦闘をおこしています。著者の宮城谷昌光は、ふたりの性格が似ていることを指摘しています。孔明の生前より対立していたこのふたりをなんとかできなかったのも疑問に思います。人事も自由にできたはずなので、わかっていれば、対処できたはずです。孔明は、ひとがわからなかったのかもしれません。

 10巻ではさらに魏の君主、曹叡が死去。先代の曹丕よりも君主としての才能がありましたが、女性に冷たすぎるきらいがありました。讒言によって母親が死んだことが影響したのかもしれません。また、子はすべて早くになくし、跡継ぎは養子となってしまいました。そして、この子がまだ幼いのです。宮城谷版三国志を読んできたひとならおわかりのように、後漢末期の悪夢がよみがえります。

"三国志〈第9巻〉"
宮城谷昌光
文藝春秋
1700円
Amazonアソシエイト

2011年9月11日

日日日『ひなあられ』

ひなあられ (講談社ノベルス) 女の子を主人公とした作品集です。4編収録されています。
 どの作品も章のタイトルがキャラの名前になっていて、そのキャラの視点で物語がつづられています。

 最初の作品『ばけばけ』は、学校のクラス全員が教室のような場所に監禁されるお話。映画『SAW』みたいな状況です。バケツのようなマスクをかぶされて、だれがだれだかぱっと見わからないようになっています。暗号が黒板に書かれていたりするのですが、あっというまに解読され、事態はクライマックスへ突入します。
 どこかでみたようなシチュエーションだし、仕掛けもつかいきれているとはいえない。4つの作品の中ではちょっとものたりない印象。

 つぎの『ひなあられ』は、姉妹間の嫉妬、憎悪を描いた作品。また、技術的には、視点の偽装が組み込まれています。他の人になりきって物語が語られる、ってことです。それがまた、嫉妬と憎悪の感情の描写にうまくつながっています。

 3つめの『かものはし』は、不思議な人物設定ではじまっています。あと、メタ構造になっています。最初の方の物語を、物語として登場人物が読むというシナリオです。不思議な物語の謎がその登場人物視点とさらには本を読んでいるひと視点で解かれていきます。安心するために謎を解こうとするんだけど、謎は解かれると、恐ろしいことが起こるのが大概です。

 ラストは『オレオ』。お話の構造としては単純なのですが、登場人物に付与した性質をうまく物語にとりこんでいて、読んでいておもしろいです。


 日日日さんは、人物の切なさや悲しみを描くのがやはり上手です。満足でした。

"ひなあられ"
日日日
講談社ノベルズ
Amazonアソシエイト

2011年8月21日

『ダメな議論』

ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書) 正しいといわれている(思っている)意見が案外、論拠とつながってなかったりと、ネットにかぎらず、テレビ、新聞、雑誌、書籍にもあり、そういう、無用でときとして害をなす意見を見抜くコツが語られています。

 しかしながら、なんでそういったダメな意見が堂々と世の中にはびこっているのでしょう? 著者は以下のように指摘しています。

 ひとが、ある意見を正しいと思って受け入れるとき、その意見が本当に正しいかどうかを精査して決めているのではなく、自分が今持っている意見に沿うものであったり、こうであってほしいという感情に合致するものを受け入れているのだそうです。
 これは現代にかぎった話ではなく昔からのことのようで、韓非子という中国の古い書籍にも書かれていて、ひとに意見をいうことの難しさは、その意見を述べるための充分な知識を持つことでもなく、意見をわかりやすくする技術でも、意見を相手にぶつける度胸でもなく、相手の心を知り自分の意見をうまくそこに合わせることだ、と述べられています。

 この本もたぶんそれを計算して「正しい意見をいっているはずなのになんで受け入れられないんだろう」と思っているひとたちの溜飲がさがるように、いやいや正しい意見だから受け入れられるんじゃなくて、たいがいのひとは気分で意見を選んでいるだよ、と序盤で書いているのでしょう。
 そういうひとたちがこの本を手に取るだろうと想定して。

"ダメな議論"
飯田泰之
ちくま新書
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2011年8月 4日

宮城谷昌光 『三国志』 第9巻

三国志〈第9巻〉 孔明の活躍がみられる第9巻です。

 「孔明の罠だ!」
 でおなじみの諸葛孔明は、実際には正攻法で戦うひとでした。
 最初に魏を攻めたときは下手でしたが、段階を追って戦いがうまくなっていきます。

 その最初の戦いで、諸葛亮がひいきにしていた部下の馬謖がミスを犯します。兵法書の『孫子』に「水のそばはダメ、とにかく上がいい」と書いてあるんだからこれが一番と、仲間の反対がありましたが押しきって、山の頂上に陣を構えます。馬謖の軍は敵に包囲され、そして飲み水が絶たれた状態になってしまいます。馬謖の軍は士気が下がり、万全な準備をととのえた敵軍にまったく歯が立たず潰走。馬謖は逃げる際になんの指示もださなかったため、このまま全滅か? とも思われましたが、馬謖が山の頂上に陣を構えるのに反対して自分の配下だけを連れて山を下りていた部下の王平が敵軍を遮り、窮地を救われます。
 
 馬謖がおさえるはずだった場所・街亭は、魏が北西へ軍を送るときに通る道にあって(北側に遠回りになる)、ここを通られてしまうと、中央と北西部を分断し北西部を離反させる作戦がうまくいかなくなり、諸葛亮の本隊が孤立し補給を断たれる可能性もあるために、早々に撤退。諸葛亮の戦争は初手から失敗ということになりました。

 馬謖は処刑。敗戦の全責任を取らされます。責任転嫁の部分もありますが、諸葛亮がアウトだと蜀という国もアウトになるので、おそらく、誰も文句をいわなかったのだと思います。

 この戦争は、連携がまったくとれていなかったり、北西部に別働隊を送ったりしており、手を広げすぎたきらいがあります。諸葛亮の作戦ミスも大きいでしょう。

 頭の中だけで事を進めすぎたのは馬謖も諸葛亮もいっしょです。

 馬謖への罰は、降格するぐらいがよく、処刑する必要はなかったと思います。諸葛亮がそうであったように、敗戦の経験を糧に戦をかさねていけば馬謖も強くなったかもしれません。

 孔明は馬謖の処刑に際して涙を流し、それが「泣いて馬謖を斬る」という故事になったそうですが、これは理解できません。馬謖をまるで自分の(分身の)ように感じていたのなら、(いいわるいはべつとして)、少しは理解できる気がするのですが、この故事について一般でいわれているような理由で涙を流していたのならば、ここだけ孔明ではない、まるで別人のように感じます。

◆参考リンク◆
「電網将校参謀本部」内『孫子の兵法 完全版』→こちら
「姜維戦争全史」内『228年、第一次北伐(諸葛亮) 』→こちら、『228年、街亭会戦 』→こちら

"三国志〈第9巻〉"
宮城谷昌光
文藝春秋
1700円
Amazonアソシエイト

2011年6月26日

宮城谷昌光 『三国志』 第8巻

三国志 第八巻 関羽が戦死し、曹操が寿命をむかえ、張飛が死に、劉備も死ぬ。この巻で一区切りがつきます。

 関羽は魏を攻めるために北上、孤立しており、そこを狙った呉軍に完全に包囲されてしまいます。
 このころの関羽はかつてのように劉備の命令をかたくなに守る一途な男ではなくなっていて、劉備との連絡をとらず、独立勢力のような状態になっていました。諸葛亮の存在が劉備と関羽のの隙間を開いたのは確かだろうし、劉備が一兵卒とおなじように関羽を放置して逃げていった過去も不満だったろうし、劉備陣営お得意の流浪にも限度があってここで終わりならもはやすべて終わりだという状況もよくわかったいただろうし、関羽の態度が変わったのには複数の理由がありました。劉備のことはあいかわず好きだけど、以前のような強く結びついた生活を求めても失望させられるだけだし、こちらからは求めない、こっちから拒絶してるんだから当たり前、という姿勢をとって自分を守っていたのでしょう。そして〈リュービズム〉を貫いたわけです。

 復讐におもむいた劉備ですが、なにを倒すのか、目標を定めずに戦争を始めてしまいました。遅い進軍、長く伸びる兵站。補給路を断たれてしまったところで、最前線にいる劉備はおしまいです。
 さすが逃げ足の速い劉備は激しい追撃をかわして白帝城に逃げこみます。またしても兵はすべて捨てられます。
 劉備は都にもどることなくこの地で亡くなりました。
 多くの国民をむだに死なせ、政治でも特にすぐれて善政を敷いたこともない。
 劉備は、よい皇帝にはなれませんでした。
 作者は劉備の最期を「曹操の有為に対して劉備の無為は、秘めた徳というべき玄徳に達したか、どうか」という言葉でしめています。
 オンリーワンではありましたがナンバーワンにはなりませんでした。それでよいなら、よいでしょう。

 以降は、諸葛亮が活躍していきます。『三国志演義』ではすでに有名人になっていますが、歴史ではこの時点ではまだ無名です。

"三国志〈第8巻〉"
宮城谷昌光
文藝春秋
1700円
Amazonアソシエイト

2011年5月 5日

宮城谷昌光 『三国志』 第7巻

三国志〈第7巻〉 劉備は本当に変わった人だなあと思います。
 歴史のなかには変わった人物が数多く存在しますが、劉備ほど君主とか国家というものと関係しなさそうだったひとはいません。いづらくなるなにもかも投げ捨ててあっさり逃げていってしまいます。時間をかけてつくりあげていくということができません。
 そして行動の遅さがあります。作中で指摘されていますが、数カ月、何をしているのかわからない空白期間がいくつか見られます。また戦略も進行の遅い方を選びます。『三国志演義』ではそれは劉備の美徳のように描かれていますが、現実をみると、それはどうなんだろうかと疑問に思うこともあります。 *1
 執着のない、のんびりした人生。――一般人(とくに現代の一般人)ならそれは好ましい生き方のひとつでしょう。しかし、あの時代に、これから君主になろうというひととしては無茶な性格です。無茶ゆえに、そんな劉備を物語の主人公にしようというのはいいことだと思います。おもしろそうです。
 ただ、『三国志演義』では、劉備を理想的な君主として描こうとしたため、劉備の特殊さを消してしまいました。
 それを再び見いだしたこの宮城谷版三国志の価値は大きいと思います。

"三国志〈第7巻〉"
宮城谷昌光
文藝春秋
1700円
Amazonアソシエイト

ちなみに追いかけなかった奥さんはそのまま捨てられてしまったようです。

*1: とりえといえば、意外にも軍はきちんと動かせるほうで、強いといってもいいでしょう。下手をして兵を損なったことはありません。

2011年4月 1日

『ささみさん@がんばらない 2』

ささみさん@がんばらない 2 (ガガガ文庫) ささみさんは大好きなお兄ちゃんの部屋で変なDVDを見つけました。再生してみると、「ササミ・ウォッチ・プロジェクト」とタイトルが表示され、ささみさん自身が隠し撮りされた映像が映しだされました。……
 コメディタッチで始まりますが、死んだはずのささみさんのお母さんが現れて、やばくて、きつい展開へと進んでいきます。

 邪神(やがみ)三姉妹の次女"かがみ"がフィーチャーされる第2巻。知らせないことがやさしさみたいな考え方をよくする子です。それで相手に誤解されてもかまわない。関係が官営がおかしくなってしまってもかまわない。というタイプなので、ちょっと困ったちゃんでもあります。

"ささみさん@がんばらない 2"
日日日
小学館・ガガガ文庫
Amazonアソシエイト

2011年3月 6日

宮城谷昌光 『三国志』 第6巻

三国志〈第6巻〉 (文春文庫) この巻は、袁紹の残された息子たちと曹操の戦いから物語が始まります。劉備は孔明と出会います。そして赤壁の戦いをクライマックスとし、劉表が病に倒れた後の荊州で劉備が地盤を固めていくようすが描かれていきます。

 孔明――
 しかし、まあ、プライドが高い。
 近くで談笑していた学友(徐庶、石韜、孟建)に不意に「君たちが仕官して出世したら刺史か郡守にはなるよね」といっている。地方官僚のトップにはなれるよね、と見下しているんです。
 そして、他の人には「自分に並ぶのは、管仲と楽毅のみ」といっています。歴史上トップクラスのふたりです。

 孔明がいたころの荊州は賢人が多いのですが、それは戦乱を避けて逃げてきた者が多かったからです。孔明の一族は、曹操が虐殺をおこなった徐州から逃げてきました。このことから、孔明がどこかに仕える場合、曹操という選択肢はなくなっています。
 孫権のところには兄が仕えているし、どうしようかと思案しているところに、劉備がやってくるわけです。
 小説では、孔明は、まだ戦乱が長く続くと考えていて、しばらくは学問をしつつ、自分の仕える先を見極めるつもりであったが、曹操が予想以上に早く勢力を拡大してきており、数年後には天下を平定してしまうだろう、そうなれば自分は隠者になって、曹操の政治を批判して一生をすごすしかない、と考えさせています。
 隠遁者になるか、そうでなければ……と歴史をふりかえってみて「天下三分の計」に思い当たります。

 「天下三分の計」は、戦略というたぐいのものではなく、今の状況を歴史に照らし合わせて見えてきたものです。
 三国志よりも古い時代、項羽と劉邦という二大英雄が覇権をかけて争っていました。この二人が決着をつける前、項羽と劉邦以外にもうひとり韓信という武将が第三の勢力となっていました。項羽の使者の武渉と、韓信の参謀である蒯通も共に、どちらにもつかず、どちらも滅びぬようにして、天下を三つに分け、そのひとつを韓信が支配するようにしないかぎり生きのびる道はないと韓信を説得しましたが、韓信はききいれず、劉邦の味方をし、劉邦が項羽を倒してしまった後は冷遇され、最後は無残な死に方をすることとなります。

 いま、韓信の立場にあるのは劉表、劉表がだめなら、つぎに勝負ができるのは劉備……なのか。
 自分は管仲・楽毅だという孔明にとっては管仲・楽毅に数段劣る蒯通の役割をしなければならないのは苦痛だったでしょうが、そうでなけば隠遁者(=ただの皮肉屋のおっさん)にならざるを得ない――人生を決める選択がここにありました。
 「天下三分の計」は、劉備のためというよりも、孔明自身のためのものだったともいえるでしょう。
 以降、流浪の軍だった劉備陣営が変化していくところは、たのしみです。つくられていきつつもくずれさっていったのか、はたまた、力およばず、だったのか。

"三国志〈第6巻〉"
宮城谷昌光
文春文庫
630円
Amazonアソシエイト

オチが思いつかず悩んだ結果がこれだよ(´ω`)トホホ…

2011年2月11日

『ささみさん@がんばらない』

ささみさん@がんばらない (ガガガ文庫) お兄ちゃん大好きな「引きこもり」の妹は、コンピューター技術を駆使してお兄ちゃんを観察している。――やがてふしぎな事件が起こる。

 お兄ちゃんに強い興味があるらしい、邪神(やがみ)つるぎ、かがみ、たま、の三姉妹。つるぎはツンデレ、『狂乱』の凶華さんタイプ。かがみは無感情タイプの女の子。たまはボンキュッボンなお姉さんな外見だけどじつは小学生三年生。

 ラブコメでスタートし、変な女の子たちがあらわれて、このままドタバタになっていくのかなと思いきや、ここは「人と神が交歓する世界」で、八百万の神々のうちのいくらかが世界を「改変」しているらしいと斜め上に飛びだしながらの大混乱なのでした。

 日本神話ベースで、そういやデビュー作にもちょっとそんなテイストの会話がちょこっとありました、好きなんですね。
 三姉妹の名前も名前だしね。と思っていたら、ここも、あとあともう一捻りあって感心させられます。
 一度披露した設定をもう一回作りかえて再度披露する腕はさすがです。

 中盤のストーリーの展開が、ラストでもう一回使われるのも、同じタイプのやり方でしょう。
 いわゆる伏線として、ラストを理解しやすくするための前例にもなっているのですが、そのまま使うのではなく変化をつけているので、予想した方向にまっすぐ行くよ、と思っていたら、あー曲がっていくーという動きも楽しめるようになっています。

 そうそう、中のイラストは綺麗ですごくいいんだけど、表紙はどうかと思う。

"ささみさん@がんばらない"
日日日
小学館・ガガガ文庫
Amazonアソシエイト

2011年1月27日

宮城谷昌光 『三国志』 第5巻

三国志〈第5巻〉 (文春文庫) この巻では、曹操対袁紹の決戦がおこなわれます。
 物語の始まりは、対決よりもすこし前からとなり、袁紹は、公孫瓚を追いつめ、北東一帯を手中におさめ、この時点で最大の勢力になっていました。
 この公孫瓚、劉備の学友であり、いっしょになって勉強もせず遊びまわっていた人物で、一時期は白馬将軍などと呼ばれ名声を高めておりましたが、やがて性格の悪い部分をどんどん表に出すようになります。金持ちや高貴な生まれの人物をみるとかならずいやがらせをする。それは、そういう人に良くしてやったりしても、それを当然と考え、感謝しないからだ、ということらしい。そして、あまりできのよくない、つまらない人たちばかりを優遇していました。また、部下も助けにいかない。それは、救援をあてにして戦わなくなってしまうからだ、ということで、こんなことばかりしていたので、人は彼から離れていくようになりました。袁紹に追われ、岩壁の割れ目に鉄の扉で門をこしらえ引きこもってしまいます。十年もこもっていれば、みんな争いあって滅びてしまうよ、と公孫瓚は思っていたようです。もうそんなやつ放っとけばいいのに袁紹はそこをしつこく攻めつづけます。うんざりした公孫瓚は援軍を求め使者を送りますが、その使者は袁紹軍に捕らえられ、公孫瓚をひっかける計略に利用されて、援軍が来たとおもって外に出てきた公孫瓚の軍勢は壊滅。公孫瓚はなんとか逃げもどりますが、その後、頭がおかしくなり、さいごは家族をころし、自らの命を絶ってしまいます。惨めで悲惨極まりない公孫瓚ですが、若き日の栄光と転落、小さな器、狂気、――物語の題材としてはおもしろそう。

 他方、曹操はというと、軍事上の要衝である都市・宛を押さえるための遠征で、賈詡の策をうけた張繍の奇襲を受け大敗、多くの兵を死なせ、長子・曹昂と頼りにしていた親衛隊長の典韋を失いました。
 張繍は、前の族長である今は亡き張済の妻を曹操が妾にしたので恨み、それを曹操が知って殺そうとしたので奇襲をかけたということになっていますが、宮城谷版の三国志ではそのエピソードはとりあげられていません。降伏時に兵を移動させるといつわっての奇襲となっています。なぜとりあげられなかったかは不明。張繍はあとでまた曹操に降伏しわりとすんなりと部下になっているので、近親者を絡めた確執があるこのエピソードは不自然な気がします。曹操にしても、女性関係での失敗はこれだけのようですし、降将の一族に恥をかかすようなまねをするようなタイプでもありません。
 なお、このとき袁紹は敗れた曹操にむけて皮肉をこめた手紙を送ったそうです。いやなおっさんです。

 皇帝である、献帝は、やはりというかもはやというか、質が悪い。後漢を崩壊させていった悪癖をまだつづけています。曹操に保護されたと思ったらすぐ、その曹操を殺そうとしています。国や民のことは考えておらず、皇帝なんだから自分が一番だろみたいなことばかり、しかも情勢がまったく見えていません。曹操を殺したら、袁紹が来て、もっと悪い状況になります。傀儡ならまだしも、早い時期に殺されてしまっていたでしょう。仮に袁紹がこなかったとしても、曹操の暗殺をおこなった者たちが実権を握ったことでしょう。

 劉備はあいかわず逃げ足が速い。勝てないとわかると即です。しかも、すべてを捨てて、ひとりで逃げてしまうのがまたすごい。関羽が曹操の部下になるエピソードは有名ですが、これもひとりで逃げてしまったからです。なんの指示ものこしていかなかったので関羽はもうどうしようもなくなってしまっています。よく呆れてしまわなかったものだと思います。 *1
 すぐ裏切ってしまうのも特徴なのですが、これは、自分が主人である(上に立つ)という意志が強かったせいなのだと思います。将来、大成するにせよしないにせよ、危険な存在です。曹操の参謀らが劉備を始末してしまおうと進言するのも納得がいきます。
 勉強もぜんぜんしないし、「御輿(みこし)は軽くてパーがいい」というのは言い得てる言葉なのかもしれません。

"三国志〈第5巻〉"
宮城谷昌光
文春文庫
630円
Amazonアソシエイト

コミPo!つかってみました。三国志をTwitterにたとえたら…という無理めな出だし。最初からオチなし…

*1: この時期、劉備に置いてきぼりにされ、呂布の捕虜になっていた劉備の「妻子」って誰なんでしょう? 妻は甘夫人ぽくはありますが(演義では関羽が甘夫人を連れて曹操に降伏している)、子どもが年齢的に劉禅ではありえないので違います。糜夫人は、劉備の妻子が呂布に捕虜にとられた後に妻になっているので違います(ちなみに、甘夫人は側室ですがこれは妻になった順番ではなく身分によるものです)。歴史に残らなかった別の夫人か、もしくは「妻子」は「妻と子ども」ではなく「妻」だけを指す言葉なのか?