2012年4月25日

唐辺葉介『ドッペルゲンガーの恋人』

ドッペルゲンガーの恋人 (星海社FICTIONS) クローン人間の彼女は、生まれてからずっと憂鬱そうで、ひんぱんにヒステリーをおこし、文句をいい、泣きくれ、暴れている。
 彼女は「彼女」のクローンであることが、たえられないようだ。
 ……
 肉体をクローンし、生前の記憶を刷り込んで生まれた人間を描いた物語です。

 前半は、憂鬱な彼女と、だいぶ無神経なばかりいう彼氏 *1 の話がつづき、これはたえきれんという「つまらなさ」なのですが、後半は“なにかの拍子に狂ってしまったかのように突如として”「おもしろくなります」 *2

 そういう仕掛けなのか、これ以上どうにもならなかった苦心の末の結果なのか、もう一回は読みなおしてみなければ私にはわかりません。
 ただ、序章がとってつけたような感じで、後で伏線として回収はされるのですが、まったくなくても成り立つようなもので、こういうのをみると、ひとつの小説として形をなすのにけっこう苦労した作品なのではないかと思いました *3

"ドッペルゲンガーの恋人"
唐辺葉介
講談社
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*1: 彼氏の無神経な発言のしつこさは、読者のイライラが、女の子の方にいかないようにするためなのでしょう
*2: ちょっとおかしなことが起きる描写をきっかけにして
*3: この序章があるおかけで、たいくつな前半を読み切ることができるわけなのですが

2012年3月25日

『服従の心理』

服従の心理 (河出文庫) スイッチを押すだけのかんたんなお仕事です。
 「あのひとに罰をあたえて」と指示され、電撃のスイッチを押す役目をふられた被験者。
 電撃の強さはどんどんあげられてゆく。
 かれはいつまで指示にしたがって電撃をくらわせるでしょうか?

 こうした「監獄実験」がかつておこなわれました。

 結果を予想してもらうと、ほとんどのひとが、みずからの良心にしたがって途中でやめてしまうだろうといいます。……ちょいとひねくれたひとはちがうでしょうが。おそらく、人間が本来持っている凶暴性があらわになるとでもいうのでしょう。それは物事をたんじゅんに裏返してみてるだけでいっていることはおんなじ、個人のモラルが問われる、というわけです。

 ところが実際には被験者は驚くほどかんたんにスイッチを押しつづけてしまう。
 しかも、かれらはモラルがないわけではなく、予想をしたひとたちよりもずっと強い倫理観をもちあわせていたりもするのです。

 著者は、これは進化の過程でつかみとってきた性質(社会性)ではないかと考えています *1

 さらに重要なのが、個人のモラルというもの自体が、このような「指示された」ものなのではないかと指摘します。
 自分の優位のために仲間を傷つけない・ころさないというのは、社会性を保つために教えこまれるもの。――モラル(道徳)というのは秩序をたもつためのもの、社会の維持のためのものですから、この考えは当たっているでしょう。
 そして、モラルが高いひとほど、かんたんに服従し、どんな残酷なことでもへいきでしてしまう、と、そうなるわけです。

 実験の結果の予想は実際の結果とまるで違っていましたが、こういう偽り・欺瞞もまた社会を円滑にうごかすために機能しているのではないかと著者は指摘します。


 この本を読む前と後では、物事の見方がだいぶ変わってしまいます。
 いままで不満をのべたり批判したりしていたのが、被験者をながめているような静かな視線になってきてしまいます。


 ちなみに、服従に対抗するには、複数の被験者を用意して団結させるのがいちばん効果があるということです。
 仲間がいれば、権威づけされた強い支持も拒否できる。
 仲間をみつけるべきですな。

"服従の心理"
スタンレー・ミルグラム
河出書房新社
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*1: こういった性質を持っているほうが生存率が高かった。無いと生存率が低いので淘汰され、持っているひとばかりが残る

2012年2月12日

チョムスキー 『秘密と嘘と民主主義』

秘密と嘘と民主主義 "現代社会は、企業を通して支配される"と主張するノーム・チョムスキーのインタビューをまとめた本です。

 金を持っている人たちが、低賃金で他の人々を働かせ、金を儲ける。金持ちの横暴は、まかり通る。金持ちが自分たちに有利になるようにルールをつくる。
 「それでなにがわるい?あたりまえじゃない。金持ちは、何もしなくせに権利ばかり要求してくる貧乏人どもにいろいろとたくさん恵んでやっているではないか」
 そんな反論はすぐに思いつくし、まさしく正論でもあります。
 しかし、金持ちが強い権力を得る社会構造であることを否定するものではありません。
 しかも、そこに横暴や欺瞞が生まれないだなんて誰も思わないでしょう。
 構造があって、意志がくわわれば、かんたんに強権体制が実現します。

 そして、民主主義は、権力のある階級をおびやかさない範囲でだけゆるされている。
 支配されている側の人間でさえ、権力者にたてつこうとするひとたちに、いい顔はせず、利口に生きろとつぶやいている(Twitterで)。
 デモをしているひとたちに対する彼らの言いぐさ、見ましたか?
 まるで、独裁体制の世界を描いた小説の人々のようではないですか。たてつくのはバカだといっている彼らこそ。

 チョムスキーはさまざまな例をあげて、この世界の「秘密」と「嘘」と「民主主義」を見せてくれます。

 インタビュー集というのは、むずかしいことはあまり語られず、やさしく解説していることが多いので、初心者が読むのに適しています。
 また、すでに専門知識をもっているひとが、あらためて原点にかえって自分をながめなおし、再構築してみるのにもいいと思います。

 ネットでも政治や社会についての話や言い争いがけっこうありますが、意外にも、チョムスキーがいっているようなことを論点にあげるひとはほとんど見かけません。
 チョムスキーの意見に賛成であっても反対であっても、新鮮なヒントになることはまちがいありません。
 たとえば、公共の乗り物についての考え方も、バスや電車などが自家用車の普及によって消えさってしまうと、移動手段のほとんどが資本によってコントロールされてしまうと注意しています。放送の公共性についても、メディアが商業主義にながされてしまうと、情報のほとんどがコントロールされてしまう危険性があります。
 資本による力の介入を考えると、民営化できるものは民営化した方がいい、とは簡単にいえないことがわかります。

 まめ知識もたくさん書いてあるので、ちょこちょこつまみ読むだけでも、おもしろいと思います。たとえば、「全体主義の実例を見たければ、"会社"を見ればいい」とか。会社は、社員全員がそれぞれの立場で、ひとつの目標にむかって行動します。そうすることが正しく、誰もがうたがいもなく信じ行動しています。信じられない人やきちんと行動できない人は出て行くか首となって排除されます。まさしく全体主義です。

 チョムスキーは、この権力、構造に対抗するには、「団結すること」だけだと言っています。個人ではそれを嘆くことしかできない、と。
 同感です。権力は人と人との関わりのなかにできるものですから。それ以外にはありません。

"秘密と嘘と民主主義"
ノーム・チョムスキー
成甲書房
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2011年10月23日

宮城谷昌光 『三国志』 第10巻

三国志〈第10巻〉 この10巻での大きなできごとは、諸葛孔明の死。大軍を率いて魏の領内で停止。そのまま何かを待っているうちに病に倒れます。

 守りを固めたまま、ずっと何を待っていたのでしょう。
 まずは呉軍です。呉は3ヵ月後という遅い段階で軍をだし、しかも早々に撤退してしまいます。
 対する魏が攻めてくるのを待っていたのでしょうか? 魏の軍隊を率いる司馬仲達は対峙したまま動かずにいました。
 魏での反乱でしょうか? これまで何度も孔明は攻めてきては撤退をくりかえしているので静観したまま動きません。

 史実の孔明は、頭が良いひとではありましたが、奇策をもちいることはありませんでした。このまま何も起こらない、撤退するしかない戦争をおこして、どうしようというのでしょう?

 孔明が病死し撤退、後を追った魏軍が追撃をきりあげると、蜀の人民は「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」と揶揄したそうですが、これはほとんど負け惜しみでしょう。

 蜀軍は、撤退時から、魏延と楊儀が対立して戦闘をおこしています。著者の宮城谷昌光は、ふたりの性格が似ていることを指摘しています。孔明の生前より対立していたこのふたりをなんとかできなかったのも疑問に思います。人事も自由にできたはずなので、わかっていれば、対処できたはずです。孔明は、ひとがわからなかったのかもしれません。

 10巻ではさらに魏の君主、曹叡が死去。先代の曹丕よりも君主としての才能がありましたが、女性に冷たすぎるきらいがありました。讒言によって母親が死んだことが影響したのかもしれません。また、子はすべて早くになくし、跡継ぎは養子となってしまいました。そして、この子がまだ幼いのです。宮城谷版三国志を読んできたひとならおわかりのように、後漢末期の悪夢がよみがえります。

"三国志〈第9巻〉"
宮城谷昌光
文藝春秋
1700円
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2011年9月11日

日日日『ひなあられ』

ひなあられ (講談社ノベルス) 女の子を主人公とした作品集です。4編収録されています。
 どの作品も章のタイトルがキャラの名前になっていて、そのキャラの視点で物語がつづられています。

 最初の作品『ばけばけ』は、学校のクラス全員が教室のような場所に監禁されるお話。映画『SAW』みたいな状況です。バケツのようなマスクをかぶされて、だれがだれだかぱっと見わからないようになっています。暗号が黒板に書かれていたりするのですが、あっというまに解読され、事態はクライマックスへ突入します。
 どこかでみたようなシチュエーションだし、仕掛けもつかいきれているとはいえない。4つの作品の中ではちょっとものたりない印象。

 つぎの『ひなあられ』は、姉妹間の嫉妬、憎悪を描いた作品。また、技術的には、視点の偽装が組み込まれています。他の人になりきって物語が語られる、ってことです。それがまた、嫉妬と憎悪の感情の描写にうまくつながっています。

 3つめの『かものはし』は、不思議な人物設定ではじまっています。あと、メタ構造になっています。最初の方の物語を、物語として登場人物が読むというシナリオです。不思議な物語の謎がその登場人物視点とさらには本を読んでいるひと視点で解かれていきます。安心するために謎を解こうとするんだけど、謎は解かれると、恐ろしいことが起こるのが大概です。

 ラストは『オレオ』。お話の構造としては単純なのですが、登場人物に付与した性質をうまく物語にとりこんでいて、読んでいておもしろいです。


 日日日さんは、人物の切なさや悲しみを描くのがやはり上手です。満足でした。

"ひなあられ"
日日日
講談社ノベルズ
Amazonアソシエイト

2011年8月21日

『ダメな議論』

ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書) 正しいといわれている(思っている)意見が案外、論拠とつながってなかったりと、ネットにかぎらず、テレビ、新聞、雑誌、書籍にもあり、そういう、無用でときとして害をなす意見を見抜くコツが語られています。

 しかしながら、なんでそういったダメな意見が堂々と世の中にはびこっているのでしょう? 著者は以下のように指摘しています。

 ひとが、ある意見を正しいと思って受け入れるとき、その意見が本当に正しいかどうかを精査して決めているのではなく、自分が今持っている意見に沿うものであったり、こうであってほしいという感情に合致するものを受け入れているのだそうです。
 これは現代にかぎった話ではなく昔からのことのようで、韓非子という中国の古い書籍にも書かれていて、ひとに意見をいうことの難しさは、その意見を述べるための充分な知識を持つことでもなく、意見をわかりやすくする技術でも、意見を相手にぶつける度胸でもなく、相手の心を知り自分の意見をうまくそこに合わせることだ、と述べられています。

 この本もたぶんそれを計算して「正しい意見をいっているはずなのになんで受け入れられないんだろう」と思っているひとたちの溜飲がさがるように、いやいや正しい意見だから受け入れられるんじゃなくて、たいがいのひとは気分で意見を選んでいるだよ、と序盤で書いているのでしょう。
 そういうひとたちがこの本を手に取るだろうと想定して。

"ダメな議論"
飯田泰之
ちくま新書
Amazonアソシエイト

2011年8月 4日

宮城谷昌光 『三国志』 第9巻

三国志〈第9巻〉 孔明の活躍がみられる第9巻です。

 「孔明の罠だ!」
 でおなじみの諸葛孔明は、実際には正攻法で戦うひとでした。
 最初に魏を攻めたときは下手でしたが、段階を追って戦いがうまくなっていきます。

 その最初の戦いで、諸葛亮がひいきにしていた部下の馬謖がミスを犯します。兵法書の『孫子』に「水のそばはダメ、とにかく上がいい」と書いてあるんだからこれが一番と、仲間の反対がありましたが押しきって、山の頂上に陣を構えます。馬謖の軍は敵に包囲され、そして飲み水が絶たれた状態になってしまいます。馬謖の軍は士気が下がり、万全な準備をととのえた敵軍にまったく歯が立たず潰走。馬謖は逃げる際になんの指示もださなかったため、このまま全滅か? とも思われましたが、馬謖が山の頂上に陣を構えるのに反対して自分の配下だけを連れて山を下りていた部下の王平が敵軍を遮り、窮地を救われます。
 
 馬謖がおさえるはずだった場所・街亭は、魏が北西へ軍を送るときに通る道にあって(北側に遠回りになる)、ここを通られてしまうと、中央と北西部を分断し北西部を離反させる作戦がうまくいかなくなり、諸葛亮の本隊が孤立し補給を断たれる可能性もあるために、早々に撤退。諸葛亮の戦争は初手から失敗ということになりました。

 馬謖は処刑。敗戦の全責任を取らされます。責任転嫁の部分もありますが、諸葛亮がアウトだと蜀という国もアウトになるので、おそらく、誰も文句をいわなかったのだと思います。

 この戦争は、連携がまったくとれていなかったり、北西部に別働隊を送ったりしており、手を広げすぎたきらいがあります。諸葛亮の作戦ミスも大きいでしょう。

 頭の中だけで事を進めすぎたのは馬謖も諸葛亮もいっしょです。

 馬謖への罰は、降格するぐらいがよく、処刑する必要はなかったと思います。諸葛亮がそうであったように、敗戦の経験を糧に戦をかさねていけば馬謖も強くなったかもしれません。

 孔明は馬謖の処刑に際して涙を流し、それが「泣いて馬謖を斬る」という故事になったそうですが、これは理解できません。馬謖をまるで自分の(分身の)ように感じていたのなら、(いいわるいはべつとして)、少しは理解できる気がするのですが、この故事について一般でいわれているような理由で涙を流していたのならば、ここだけ孔明ではない、まるで別人のように感じます。

◆参考リンク◆
「電網将校参謀本部」内『孫子の兵法 完全版』→こちら
「姜維戦争全史」内『228年、第一次北伐(諸葛亮) 』→こちら、『228年、街亭会戦 』→こちら

"三国志〈第9巻〉"
宮城谷昌光
文藝春秋
1700円
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2011年6月26日

宮城谷昌光 『三国志』 第8巻

三国志 第八巻 関羽が戦死し、曹操が寿命をむかえ、張飛が死に、劉備も死ぬ。この巻で一区切りがつきます。

 関羽は魏を攻めるために北上、孤立しており、そこを狙った呉軍に完全に包囲されてしまいます。
 このころの関羽はかつてのように劉備の命令をかたくなに守る一途な男ではなくなっていて、劉備との連絡をとらず、独立勢力のような状態になっていました。諸葛亮の存在が劉備と関羽のの隙間を開いたのは確かだろうし、劉備が一兵卒とおなじように関羽を放置して逃げていった過去も不満だったろうし、劉備陣営お得意の流浪にも限度があってここで終わりならもはやすべて終わりだという状況もよくわかったいただろうし、関羽の態度が変わったのには複数の理由がありました。劉備のことはあいかわず好きだけど、以前のような強く結びついた生活を求めても失望させられるだけだし、こちらからは求めない、こっちから拒絶してるんだから当たり前、という姿勢をとって自分を守っていたのでしょう。そして〈リュービズム〉を貫いたわけです。

 復讐におもむいた劉備ですが、なにを倒すのか、目標を定めずに戦争を始めてしまいました。遅い進軍、長く伸びる兵站。補給路を断たれてしまったところで、最前線にいる劉備はおしまいです。
 さすが逃げ足の速い劉備は激しい追撃をかわして白帝城に逃げこみます。またしても兵はすべて捨てられます。
 劉備は都にもどることなくこの地で亡くなりました。
 多くの国民をむだに死なせ、政治でも特にすぐれて善政を敷いたこともない。
 劉備は、よい皇帝にはなれませんでした。
 作者は劉備の最期を「曹操の有為に対して劉備の無為は、秘めた徳というべき玄徳に達したか、どうか」という言葉でしめています。
 オンリーワンではありましたがナンバーワンにはなりませんでした。それでよいなら、よいでしょう。

 以降は、諸葛亮が活躍していきます。『三国志演義』ではすでに有名人になっていますが、歴史ではこの時点ではまだ無名です。

"三国志〈第8巻〉"
宮城谷昌光
文藝春秋
1700円
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2011年5月 5日

宮城谷昌光 『三国志』 第7巻

三国志〈第7巻〉 劉備は本当に変わった人だなあと思います。
 歴史のなかには変わった人物が数多く存在しますが、劉備ほど君主とか国家というものと関係しなさそうだったひとはいません。いづらくなるなにもかも投げ捨ててあっさり逃げていってしまいます。時間をかけてつくりあげていくということができません。
 そして行動の遅さがあります。作中で指摘されていますが、数カ月、何をしているのかわからない空白期間がいくつか見られます。また戦略も進行の遅い方を選びます。『三国志演義』ではそれは劉備の美徳のように描かれていますが、現実をみると、それはどうなんだろうかと疑問に思うこともあります。 *1
 執着のない、のんびりした人生。――一般人(とくに現代の一般人)ならそれは好ましい生き方のひとつでしょう。しかし、あの時代に、これから君主になろうというひととしては無茶な性格です。無茶ゆえに、そんな劉備を物語の主人公にしようというのはいいことだと思います。おもしろそうです。
 ただ、『三国志演義』では、劉備を理想的な君主として描こうとしたため、劉備の特殊さを消してしまいました。
 それを再び見いだしたこの宮城谷版三国志の価値は大きいと思います。

"三国志〈第7巻〉"
宮城谷昌光
文藝春秋
1700円
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ちなみに追いかけなかった奥さんはそのまま捨てられてしまったようです。

*1: とりえといえば、意外にも軍はきちんと動かせるほうで、強いといってもいいでしょう。下手をして兵を損なったことはありません。

2011年4月 1日

『ささみさん@がんばらない 2』

ささみさん@がんばらない 2 (ガガガ文庫) ささみさんは大好きなお兄ちゃんの部屋で変なDVDを見つけました。再生してみると、「ササミ・ウォッチ・プロジェクト」とタイトルが表示され、ささみさん自身が隠し撮りされた映像が映しだされました。……
 コメディタッチで始まりますが、死んだはずのささみさんのお母さんが現れて、やばくて、きつい展開へと進んでいきます。

 邪神(やがみ)三姉妹の次女"かがみ"がフィーチャーされる第2巻。知らせないことがやさしさみたいな考え方をよくする子です。それで相手に誤解されてもかまわない。関係が官営がおかしくなってしまってもかまわない。というタイプなので、ちょっと困ったちゃんでもあります。

"ささみさん@がんばらない 2"
日日日
小学館・ガガガ文庫
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