2006年10月26日

日本怪談大全 第2巻 幽霊の館

Amazon.co.jp: 幽霊の館: 本: 田中 貢太郎 日本怪談大全として復刊されるまえのこの作品集のタイトルは「日本怪談全集」だそうで、自分の作品集に「怪談全集」と名前をつけるというのは、やはり執筆活動のほとんどの期間を怪談に注いできた自負のあらわれなのでしょう。

 この第2巻には、幽霊の館として39作品、水妖の館として6作品、山妖の館として3作品、交通怪談の館として6作品がおさめられています。

 ざっと作品紹介してみると、古典的怪談を題材にした「牡丹灯籠 牡丹燈記」「四谷怪談」「皿屋敷」「累物語」がこの巻に入っています。

 地方の伝説をもとにした「八人みさきの話」は、田中貢太郎の故郷、高知に伝わる"七人御先(みさき)"の伝説のおおもとの事件です。よくわからぬ原因でおこった病気や死亡を"七人御先に往き逢うたから"とその怨念のせいにしていたのだそうです。伝奇物のマンガの題材になったこともあります。御先というのは首のことです。豊臣秀吉の時代、この地方の領主、長宗我部元親の世継ぎをめぐって元親に注意をした家臣たちが、元親に気に入らねえとぶっ殺され、その怨霊が祟って、死ぬは狂うはの大騒ぎとなります。

 まんが日本昔ばなしみたいな風合いがあるのが「ある神主の話」。漁師の男が素性のわからぬふしぎな男と飲み友だちになります。この漁師があんまり物事に頓着しないタイプなので、気にせずつきあってきたのですが、ある日、酔った拍子に、そのふしぎな男が自分の正体を話します。人間じゃない、と。そして、俺は人間になりたいんだ、ともいいます。漁師が、どうやって、と訊くと、通りがかった旅人を水に引き込んで体をもらう、と怖いことをいいはじめます。それなりにハッピーエンドには行き着きますが、ちょこちょこ残酷が顔をだすのが昔話っぽいんです。
 
 精神にぐらぐらっとくる上質のモダンホラーが「黄燈」「藍瓶」「雀が森の怪異」「萌黄色の茎」などの諸作品。静かな狂気がもりこまれ、幻想文学の味わいがあります。1巻目からそうでしたが、この系列の作品は強烈です。
 モダンホラーだけを集めて一冊にしたいなあ。

"日本怪談大全 第2巻 幽霊の館"
田中貢太郎
国書刊行会
2447円
Amazonアソシエイト
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2006年10月18日

日本怪談大全 第1巻 女怪の館

Amazon.co.jp: 女怪の館: 本: 田中 貢太郎 巻末の解説によれば、大正末から昭和初頭にかけての1920年代は、怪談が文学の表舞台にたちあらわれ、芥川龍之介、谷崎潤一郎、佐藤春夫、室生犀星などの文壇の旗手、江戸川乱歩、小酒井不木夢野久作など探偵小説誌「新青年」で活躍する鬼才、自然主義、白樺派、新感覚派、プロレタリア文学、児童文学にいたるまでさまざまなジャンルの作家が筆をとっていたそうです。(リンクは青空文庫。田中貢太郎も読めますよ)。田中貢太郎もその時代に活躍した怪談の名手です。

 田中貢太郎の小説は、事が進むにつれ、心理描写が減り、巻き起こる事態のみ視点が集中するようになります。描写がざっくりとしてくるほどに、なまなましさ、奇怪さ、違和が強調されてきます。
 
 ネットで怖い話のサイトへいったことがあれば、たくさんある怖い話を読んでいるうちに、本当に体験したであろう話と、それらしく作られた話の違いがわかるようになってくると思います。本当に体験したであろう話は、うわ、変だ、という感覚をそのまま書こうとしているので、違和感、説明のつかない感じがあるんですよね。ジグソーパズルのピースがたりない、あわない、というよりもともとあるはずのないピースがむりやりはめ込めたような構成を持っています。一方の作り話は怪奇現象を話しているんだけれど、ピースがぜんぶ合うんですね。説明がついちゃっている。田中貢太郎は、体験談の感覚をうまくつかんで書いているんですね。だから、読んでいて、うわ、と思う。

 さて、このシリーズは、日本怪談全集としてまとめられてかつて出版されていたものを、テーマごとに再構成して復刊したものです。テーマごとというのには悪い面がひとつありまして、それは似かよった話ごとにまとめられてしまっていることです。
 それでもこの1巻はバラエティに富んでいるのでおすすめです。

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"日本怪談大全 第1巻 女怪の館"
田中貢太郎
国書刊行会
2447円
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2006年10月16日

「われ巣鴨に出頭せず--近衛文麿と天皇」

Amazon.co.jp: われ巣鴨に出頭せず--近衛文麿と天皇: 本: 工藤 美代子 いままで見えなかった昭和史----先の戦争を、戦争以外の方法で解決しようとしていた人々がいたことがよくわかります。

 近衛文麿は、アメリカとの戦争が始まる前まで首相であった人物です。中国大陸での戦線不拡大を模索、外交によってアメリカとの問題解決を計ろうとするが、自体はそれを上回るスピードで進行していきました。

 中国大陸での戦争は拡大しない、早急に和平に努める(平和主義というよりは、ソ連の領土拡大を脅威とみなしていた)、アメリカと戦争になったら負ける、と考えているほうが、日本の上層部では多数をしめていたのにもかかわらず、それとは逆の方向へ進んでいきます。

 われわれがイメージする旧日本軍の姿、天皇を頂点にした国家をめざす右翼的な思想をもった陸軍のグループ「皇道派」が、戦争の不拡大を支持していて、どうにか和平に努めようと行動していた人物で、本来ならそのような右翼思想とは相容れないはずの自由主義者である吉田茂と協力するようにもなったという皮肉なねじれがあったこともわかります。

 また、自分は昭和天皇は戦争責任を回避したと思っていて、昭和天皇を描いた映画「太陽」の感想でもそう書きましたが、実際はそうではなかったようです。
 開戦に極めて批判的であったし、自分が責任をとれないかと側近にも提案しています。
 臣下を大切にしていて、A級戦犯が合祀(ごうし)されているから靖国の参拝をやめた、というのは、この本に書かれている発言をみるかぎりではありえなさそうです。
 戦前より、イギリス式の立憲君主をめざしていて、政治には口出ししない、決められたことは拒否しないよう努めていました。いまの象徴天皇となんら変わりありません。変わったのは、われわれの方です。
 昭和天皇に戦争責任を問うとするなら、専制君主として振る舞わなかったことにあるのでしょう。
 天皇制というのはやはり左翼の用語にすぎません。そんなふうには天皇は存在していませんでした。

 これまで戦前、戦時中のことはひたすら隠され、戦争反対の思想ばかりを植えつけられてきました。暗黒と悪ばかり描かれ、なにが本当にあったのかは知らされてきませんでした。
 なんという時代でしょう。
 戦時中は、大本営発表というウソが教えられて、戦後になったら、立場だけが変わり、おなじことをしているのです。
 やっとそれも終わります。

 右傾化が進んでいると揶揄されるけど、ちがうよね。本当のことが知りたいだけだよね。

"われ巣鴨に出頭せず--近衛文麿と天皇"
工藤美代子
日本経済新聞社
2310円
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2006年10月 4日

後藤繁雄「五感の友」

Amazon.co.jp: 五感の友: 本: 後藤 繁雄 モノをつくり、素敵に生きるひとたちの、その感覚に触れるインタビュー集。後藤さんの本はほんとうにすばらしい。たくさんの智慧を眼にして、なんだかどこからかまた力がわいてきました。ちょっとしたことでやっぱり人間は強くなったり弱くなったりしますね。


 いちばん最初はよしもとばななさんとの対談。出産の後(2003.9)、赤ちゃんをつれてのインタビューだそうです。終わりの方にある、ばななさんのお姉さんの話がすごい。"またぎ"のようになっちゃってるんだそうで、ばななさんがお姉さんに、食べたものがおっぱいとして出るってことは、私の食べ物に気をつけた方がいいのかなえって訊いたら、「あんた、そういう世の中に蔓延してるくだらない話をきかない方がいいよ」ってきっぱりと言われたそうです。すごい。

 つぎはポール・スミス。イギリス生まれのデザイナーです。老いた父親たちをみていると、常になにかに興味を持つことが、狭量ならず、孤独にもならず、アクティブでいられるポイントだとわかったという。そして、自分に対してリラックスすること。そうすれば、疲れていてもハードでも、それまでの力で進むことができる。

 そして、柳美里。後藤さんの「彼女たちは小説を書く」にも登場しています。それ以前の時点のインタビューです。

 ユーリー・ノルシュテイン。切り絵アニメのアニメーション作家。大人になろうとも精神の中には赤ちゃんの面影が秘められているという。赤ちゃんの特徴は驚くこと。驚きを失わないかぎり、やわらかく、フレキシブルでいられる。また、赤ちゃんのようにやわらかく触れることのできないひとたちが犯罪者のようになってしまうのではないか、と。

 それから、加藤晴之。イタリアでカーデザインをし、日本でソニーのプロダクトデザインをやり、そのあと、八ヶ岳で自然農法にうちこみ、蕎麦打ちの修行もし、現在は東京に戻ってきてオリジナルのオーディオ制作をしているそうで、すごいひとです。

 志村ふくみ。織物の制作者です。目に見えないものに触れるには、目に見えるものに厳密でなければならない、後藤さんの印象です。志村さんの言葉はやわらかでやさしいのですが、刃物にじかにふれるようなやばさがあって魅力的です。

 ヤノベケンジ。芸術家。

 是枝裕和。映像作家、映画監督。映像にかかわることで、はじめて他人とかかわれるようになったといいます。そして、さいきんやっと、カメラを間にはさむことででてくる自分の喜怒哀楽の感情を前向きとらえられるようになってきたそうです。

 ジェームズ・ラブロック。生物学者。「ガイア仮説」のひとです。しかし、過激な自然主義者に苦言を呈します。現実的な生を考えています。

 ヘンリ・ミトワ。禅僧。

 甲野善紀。武術家。自分が在るということをコトバや信仰によらず、実感するための手がかりとしての武術だそうです。

 ブライアン・イーノ。音楽家。"アートと人生は切り離せない。一つのものだと皆考えるのが好きだけど、私は嫌いだね。「アート」は、自分の人生や生活の中でできないことをするための場所だと思う。危険で反社会的かもしれないが、感情や直感、五感のための実験室なんだよ"。

 内藤礼。芸術家。フェルメールのある絵をみたとき、はじめてわかったと思ったことがあるという。その絵はなにも教えてくれなかった。「ある」、存在していること以外なにもない。答えだとか、役に立たなきゃいけないとか、ためにならなきゃいけないとか、そういうのがいかに間違ってるか、わかったそうです。

 岩松了。劇作家、演出家、俳優。演劇に仮に才能があるとしたら、しらけつづける才能だという。なにか失敗したひとがいて、それを喜劇とみる。それだけじゃなくて、失敗したひとをたまたま見ていたひとがいて、あのひと可哀想と心で笑っているのを、さらに喜劇としてみる。そんなふうにつねにしらけたひとが一人いることを想像する、それが演劇の才能だそうです。

 デズモンド・モリス。動物行動学者。意味を超えてリアルを感じることが大切。

 ダグラス・クープランド。作家。"未来について一番不思議に思うのは、僕らがそのことを気にするのに、僕らはもうそこに生きていられないってこと。未来に何が残されて、何が失われているか、誰も教えてくれないんだよ。だからとにかく「さあ、行こう!」って感じさ"

 木村二郎。造形作家。

 ピーター・ガラシ。MoMA写真部門チーフキュレイター。ドキュメンタリー写真が、広告写真や映画のシーンのようにみられ、セットアップのほうもいかにもドキュメンタリー写真のような日常光景をとるようになり、なにかするまえに、もうすでに、現実と虚構、リアルとアンリアルの関係があるのをみたそうです。

 橋本治。作家。

 阿部和唐。陶人形作家。

 ロドニー・アラン・グリーンブラッド。造形作家、イラストレーター。

 柴田元幸。東京大学文学部助教授、翻訳家。"木の中に彫刻作品というのは実は隠れていて、こっちはそれを掘り出すだけ、とよくいわれますが、翻訳もそれに似ている"

 チューチョ・バルデス。ジャズ・ピアニスト。

 照屋林助。漫談家。"緊張する者に、「緊張しないようにしっかりしなさい」って言ってもそれは絶対に治らない。こういうときには、わざとおまじないの文句として「緊張してみせてやれ」と言いながら芸をしろって言います"

 大橋歩。イラストレーター。昔、先生が形は練習すればよくなるけど、色は天性のものだからダメなものはダメといわれたそうです。それで、がんばってやってきたが、形には限界があった。色は時代の中で善し悪しが変わる。先生の言葉はいまでは間違っていると思うとのこと。出てくるもの(ものの考え方・見方)はその人そのもの。

 小熊英二。評論家。"戦前、戦中の思想にしても、文章にしても、それだけ読んでいてもそれはある種の「ミイラ」みたいなものであって、最初は一見すると「何を馬鹿なことを言っている」としか思えないかもしれない"

 堀江敏幸。作家。"ある作家を継続的に読んでみて、くもりのない声が聞こえて来た時、この人は信用していいんじゃないかと考えるんです。作者に会いたいということではなくて、あくまで作品を読み続けていこう、世間の評価はどうあれ、捨てないでおこう。そう心に誓うんです"

 フィリップ・ワイズベッカー。イラストレーター。

 今井俊満。芸術家。

 島村菜津。作家。スローライフ、スローフードを日本に紹介した。"よく、「スローフード」っていう食べ物があると思っていたり、グルメの新しいスタイルみたいに思っているひとが多い。ようは頭の切り替えなのに。そう言うと「それだけですか」といわれたりします"

 野坂昭如。作家。"本来、詩とか小説とかっていうのは、一つしか書けないもんなんだよ。もちろん社会的な意味での言葉を考えれば、言葉は磨いたほうがいいと思うし、相手に伝えるための努力はした方がいいけど、だけど本来出てくる言葉は、赤ん坊の泣き声みたいなもんで、それは一つっきゃないんだ。訓練してできるものでもない。磨き立てて洗練されるものでもない。文章って、だかからかいたらそれでおしまいで、書くことの方に意義があるわけだよ"

 リカルド・ボフェル。建築家。"なぜ我々が見るようなものだけで、他の可能性はないのだろうか?"

 トニー・ガトリフ。映画監督。"我々は往々にして間違っているのさ"

 福西英三。バーテンダー。

 秦早穂子。映画評論家、エッセイスト。「勝手にしやがれ」など1950年代後半から60年代までのヨーロッパ映画を輸入紹介している。

 大橋力。情報環境学者、生物学者。山城祥二の名まえで芸能山城組をひきいる。

 伊藤キム。舞踏家。"アーティストは自分で実践するものをつくるんじゃなくて、見る人や世間と共有する何かをつくる。そうやってギャラが入って生活できる、社会的に機能する存在なんだと思うんです"

 やなぎみわ。写真家。"それに、少なからず私たちの世代は虚構の肉親に育てられてますよ。マンガやアニメや小説の中に自ら見出した「親」たちにね。"

 ブルース・マウ。デザイナー。"何かを見て、「これは完全にポジティブである」と単独で切り離してとらえることができるものは、実は、まずない。たいていの物事にはポジティブな面とマイナスの面が同居している。だからエンゲイジメントと続け、関わり合いを続けることを通して、「ポジティブとはなんであるのか」を理解し、ネガティブを緩和することを常に考える"

 石毛直道。批評家。食文化の研究。

 塩野米松。作家。

 妹島和世。建築家。

 ストーム・トーガソン。デザイナー。

 山極寿一。霊長類学・人類学者。"類人猿と言われるテナガザル、オラウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボは、それぞれ全然違う社会を持っている。比較してみると、その両極にテナガザルとボノボがいある。テナガザルはほとんど永続的なペアで縄張りをつくるから、人間みたいに複数の男女の出会いはないし、排卵日以外はほとんどセックスしない。一方、ボノボは日常的に発情し、「挨拶」としてセックスをする乱交社会。面白いことに、その両極の社会には「暴力」も「子殺し」もない。でも、その中間にあるチンパンジー、ゴリラ、ヒトの社会にはこれがある"

 石岡瑛子。ファッションデザイナー。

 辻信一。文化人類学者。

 ゲーリー・スナイダー。詩人。"想像力は、自由とヴィジョンにとって重要だからこそ、イギリスのシェリーは、「詩人は非公認の立法者」だと言いました。詩や絵画は、政治よりも社会を変える大きな力を持っているんです"

 東松照明。写真家。

 美輪明宏。歌手。"女"優。"宗教は企業に過ぎない、と美輪さんは切って捨てる。いかに信仰するか、それが問題なのだ"


 書いてないところはなにも感じなかったわけではなく、全部書きたい(でもむり)か、秘密にしておきたいからです。

"五感の友"
後藤繁雄
リトル・モア

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