2006年11月27日

日本怪談大全 第4巻 犯罪の館

Amazon.co.jp: 犯罪の館: 本: 田中 貢太郎 ここまでの3巻にくらべるとだいぶ怪談らしくない作品が収められています。犯罪実話的なものが多くあります。それを補うように超常的超心理的な要素の作品がならんだ「超常現象の館」とペアになっています。

 田中貢太郎は、怪談のおもしろみを、異様な状況に置かれて、ふだんにまして色濃くにじむ、人間の心理のありように見ていたということなので、犯罪実話が入ってきてもふしぎではないんでしょうね。
 幽霊というのは、現実にいるいないにかかわらず、創作物の中では、人間心理のある部分を実体化させたようなシンボルとしてあらわれますから、人間に強く興味を抱いているひとはけっこう怪談を好みます。異常犯罪に興味をもつひとも、そのひとが異常行為に興味があるのでないかぎり、やはり人間への興味からそういうものへの嗜好がでてくるようです。

 この巻にもけっこう強力なモダンホラー的な作品が収められています。
 ストーカー犯罪の走りのような「鎌」。
 サイコホラー「あかんぼの首」「白いシャツの群れ」「海異志」。
 ロマンス的な怪異譚「船の上」。
 要チェックです。

 また、谷崎潤一郎の異色の短篇「人面疽」の直接の粉本(元ネタ)という"怪霊雑記"の一話を現代語に書き下した「人面瘡物語」も収められています。

"日本怪談大全 第4巻 犯罪の館"
田中貢太郎
国書刊行会
2447円
Amazonアソシエイト
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2006年11月14日

日本怪談大全 第3巻 禽獣の館

Amazon.co.jp: 禽獣の館: 本: 田中 貢太郎 それが現れると魔に魅入られ人生がねじまがる----狂気の象徴としてあらわれる動物や、人に姿を変えて異性を魅了するもの、あるいは動物に惹かれ人の世界から外れていってしまう話、狸に化かされるといったような昔話に基づいた話など、なかなかバリエーションに富んでいます。

 著者の故郷、高知の伝説もとりいれられていますが、有名な「犬神」の話がほんのちょっとだけ話題になっているていどなのがおしいですね。狐憑きと、西洋の邪視・邪眼(evil eye)の要素がまじったような感じで、嫉みが動物の霊を相手にとり憑かせます。そういえば、高知出身の漫画家の西原理恵子さんが嫉みをネタによくしていますが、土地柄的に嫉妬に対する意識が高いんでしょうか。

"日本怪談大全 第3巻 禽獣の館"
田中貢太郎
国書刊行会
2447円
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2006年11月 8日

後藤繁雄「善悪對談」

 善悪をテーマにしたインタビュー集。もちろん、善悪が絶対的なものじゃなくて状況にあわせて変化するものだというのは、もはや全員、前提となっています。

 お相手と、気になった部分をちょいと抜き書きしてみます。

 松山俊太郎(女子美術大学教授。サンスクリット学者。Wikipedia)松山「人間は規範によっていくらでも変われるんじゃないかって気がするんですよ」
 塩野七生(作家。Wikipedia)塩野「ある書評でね、塩野七生は弱者に対していささか同情に欠ける、とあったの。いささかどころか、私は全く同情してないよ。そこだと思うんですよ。あなたがお聞きになりたいことの答えは」
 野村武司(狂言師。現在、二世野村萬斎。Wikipedia)野村「ダメな人はね、教わったまんましかできない。ヘタというより面白くない。様式性をもたされた分、逆に最大の自由がある」
 鈴木清順(映画監督。Wikipedia)後藤「誤解される自分も自分のうちだってことですね」鈴木「そうですよ。もっと誤解されてつくられたほうがいいし、誤解の中で生きたほうがいいと思うね」
 島田雅彦(作家。Wikipedia)島田「美しい日本の私、っていうフィクションは、裸で異民族や宗教の違う者と向かいあった時には何も役に立たないでしょ」島田「忘れてはならないのはジョークだと思います。だいたい多民族国家みたいなところでは必ずジョークが生まれるんです。で、ジョークっていうのは必ず差別と背中合わせでね」
 升田幸三(将棋棋士。Wikipedia)升田「やっぱり棋士がね、正しいと思う手かどうかが問題だ。相手をちょろまかす、それが一番悪いね。というのはね、それは自分自身を滅ぼす手だからだ」
 堀米ゆず子(バイオリニスト。Wikipedia)後藤「花と鏡って世阿弥の?」堀米「そう。だから花というのがどれくらい自分が感じられるかってことだったら、鏡っていうのはどれだけその自分を冷静に見れるかってこと。自分でその曲を感じて、演奏するんだけど音にならないのではダメ。その曲をどう思ってるかがわかんないとね」
 井上章一(人文学者。専攻は建築史、意匠論。Wikipedia)後藤「テレビとか見てると必ず悪人は関西弁を使っているような気がするんです」
 山本耀司(ファッションデザイナー。Wikipedia)山本「かっこよく言っちゃうと、それは孤独っていう故郷を懐かしんでると思うんです。だから感受性のいいやつらは、生まれたとたん頼みもしないのに何で生きなきゃなんないとかってね。みんな、伝統美とかナショナリズムとか歴史とかっていうのと結びつけて懐かしさを大切にしてるでしょ。勝ちたいんだったら、それでいい。僕らは引っ掻き傷であってもね、負けるためにファッションやってるんだから」
 安藤忠雄(建築家。Wikipedia)安藤「結局、悪意というのはエネルギーがいるんです。でも善意というのはエネルギーなんていらない。悪意を持つということは、体力と精神力と、それに勇気がいるね。悪意という勇気がいる。でも、善意という勇気はないと思う。善意というのは普通で、善意の建築は面白くないな」
 ピーター・グリーナウェイ(映画監督。Wikipedia)グリーナウェイ「善と悪なんてものはどちらも存在していないと思う。それはね、人間によって作られた単なる構成概念であって、そもそも道徳なんてこの世には全く存在しないものなんだ。だから私のなかには善だの悪だのといったことは存在していない」
 森村泰昌(芸術家。Wikipedia)森村「子供をバイオで作って芸術作品だっていうアーチストだってでてくるかもしれない。でも感覚はモニターでも、できあがるのは現実です。今や鏡の世界と現実の世界がきっちり分かれたものではなくなってる。そうするとどこまでが狂気なのか、どこまでが芸術なのか、ますますあやふやになってきてることは確かだと思います」
 関野吉晴(探検家。医師。人類学者。Wikipedia)後藤「善とか悪っていうのも、人間が順応していくために創り出した悲しい方便なのかもしれませんね」
 塩月弥栄子(茶道家。1970年「冠婚葬祭入門」が大ベストセラーになる)塩月「みんながやってることを同じように一年中やる、これはエチケットなのね。マナーっていうのは、その場や相手によって、自分がもっている才能を働かせて、こう引くべきだとか、ここは出るべきだ、心はどこにあるかとか判断できること」
 赤瀬川原平(前衛芸術家。作家(尾辻克彦)。Wikipedia)後藤「自分にとって一番エグイことをやってみると、今までそんなことにこだわってた自分ってコドモだったんだなと思ったりしますよね」赤瀬川「そう。単に頭に支配されてんだっていうかね」
 マイケル・クラーク(ダンサー。振付師)マイケル「美しいものは醜いものがないと存在しない。苦痛を知らなければ、快楽を感じることはできない。善も悪もどっちもなきゃいけないものなんだ。それは、相互に依存していて、一方を理解するともう一方もより認識できるようになる。それらは、おたがいに強めあっている」
 香山リカ(精神科医。Wikipedia)後藤「話を聞いていると、香山さんは、治療を通して患者さんと一緒に自分の中のタブーのハードルを越えていこうって感じですね」
 野口武彦(文学評論家。Wikipedia)野口「うけるために、彼(鶴屋南北)は狂ってるんですよ。狂っているとしか言いようがない。歌舞伎作家が考えるのは客が入るか、入らないかだけなんですよ」後藤「馬琴は何が善で何が悪かわからなくあんった時代に、勧善懲悪をはっきりしたかった。何が善で何が悪か、はっきりしたいがために一種の強迫観念にとりつかれたみたいになる。一方南北は、考えないで行くから、逆に時代の無意識をつかまえることができる」
 星野道夫(写真家。Wikipedia)後藤「タブーっていうのはそれによって一方で自分たちのアイデンティティーをつくることにもなる。タブーがなくなるってことは、自分たち自身が何であるのか判断できなくなるってことでしょ。普通、タブーっていうと、人は社会のルールみたいに思いがちだけど、実は自然や動物や宇宙と付き合うための約束事だったんでしょうね」
 中島らも(作家。Wikipedia)中島「僕は根本的に鬱なんで、人工的にハイにしてから書くっていうのが日常ですね。もう、そこには善とか悪っていうものを持ち込む筋合いのものじゃないんです」
 荒木経惟(写真家。Wikipedia)荒木「俺は物語は作らない。提出するだけ。もう見る人の数だけ物語があるようにさ、新しい物語を作っていいんだよ。写真っていうのは、現実と違ったもう一つの真実だから。真実っていうのは、いっぱい作っていいんだよ」
 エイミ・タン(作家。Wikipedia)タン「いことが起こってほしいと願うことは、願って来てもらうんではなくて、自分が望んだものっていうのを、かなり注意深く、それに集中して、一生懸命に願うことによって自ら見つけていくことじゃないかと思うんです」
 奥井一満(昆虫学者)奥井「男と女の駆け引きなんていうのも、何も人間に限った話じゃないんですよ。あらゆることはもう昆虫によってやられている」
 坂本龍一(音楽家。Wikipedia)坂本「ある表現が力を持つためには、その音楽が依拠しているルーツとかアイデンティティーというのは問題じゃない。極論すると物真似でもいいし、コピーでもイミテーションでも全然かまわないのかもしれない」
 ロバート・ウィルソン(演出家)後藤「では、西洋の演劇を悪くしたのは何でしょう?」ウィルソン「それは心理的自然主義。まず自然主義というのが欺瞞だと思う。舞台の上で自然であろうとするなんてできない。舞台の上は常に人工的なものなのです。演技しているのだから。だから、人工的であるほうがもっと正直だ」ウィルソン「自然主義は不自然で逆に人工的です。モーツァルトと弾くとして、子供の頃から65歳になっても練習しているとする。しかし、その練習は決して学び終わるものではない。学びつづける何かがあるのです。自由に弾けるようになればなるほど自然になる。人工的であることこそ自然への道なのだと思う」ウィルソン「メカニカルであればあるほど、楽にできるようになる。繰り返しやることによって、やがて自由にできるようになるんです」
 種村季弘(翻訳家。作家。Wikipedia)種村「極端な悪なんていうのは、極端な善と同じでね。極端なユートピア国家が、牢獄みたいな国家になるのと同じだよ」
 北山耕平(編集者。インディアンの世界を日本に紹介した)北山「ネイティブの世界には固定的な善悪って存在しないんです。メディスンマンっていう人は、善も悪もすべて引きうけて持っている。いわゆる、聖人じゃないんです。彼らは、グッドやバッドが出てきている同じ根っこをつかまえて、バランスがとれるように力を使うんです」

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 この本は、ずっと品切れで読むことができなかったので、アマゾンのユーズド商品を購入しました。あたまの方の数ページがごそっとぬける状態だったけど、その他はとくに悪いところはなかったので、まあしょうがないとあきらめて。たぶん、ページ開いたまま、他の本に押しつぶされていたりしたんでしょうね。

 けっこういい智慧の書なので再版希望です。

2006年11月 1日

わたしが見たポル・ポト—キリングフィールズを駆けぬけた青春

Amazon.co.jp: わたしが見たポル・ポト—キリングフィールズを駆けぬけた青春: 本: 馬渕 直城 誰かがそこに行って真実を伝えなければならない。これまで知られてこなかったカンボジアの本当の姿が描かれます(映画「キリングフィールド」は偽りの物語でした)。
 報道写真家になることを望み、アメリカの意図によってベトナム戦争の戦火が拡大したカンボジアに行き、取材し続けた著者の活動の記録です。

 映画「キリングフィールド」がまったくの嘘だというのが意外でした。
 この映画は、カンボジアの戦争を取材していたニューヨーク・タイムズの記者シドニー・シャンバーグと彼の助手をしていたカンボジア人のディス・プランの物語として描かれます。ベトナム戦争時にアメリカの支援を受けてクーデターを起こし誕生したロン・ノル政権がアメリカのベトナム戦争敗北により崩壊、ポル・ポトが指揮するカンボジアの共産勢力クメール・ルージュが支配するようになります。シャンバーグはプランといっしょに国外へ出ようと偽のパスポートを作るが失敗、取りのこされたプランは集団農場へ送られます。そこでクメール・ルージュによる虐殺を目撃します。長い苦難の生活ののちに、プランは運良く脱出、タイへ逃れます。そこで四年ぶりにシャンバーグと涙の再開を果たすという感動の作品です。このシャンバーグという記者による手記をもとにした実話として作られました。また、ラストにジョン・レノンの名曲「イマジン」がつかわれていることでも有名です。
 公開当時から、事実と違うと批判され、プロデューサーのデイヴィッド・パットナムは、この映画は政治的なことが主題ではなく、シャンバーグとプロンの友情物語として見てほしいと語ったそうです(じつはその友情物語でさえ嘘なのだそうですが)。
 いまはそういう批判があったことさえも忘れられて、事実として受け入れられてしまっています(たとえばWikipediaAmazonでのカスタマーレビュー)。映画の恐ろしさです。これによってポル・ポト派の大虐殺のイメージが作られてしまいました。

 ただ、ポル・ポトの政権において大量の死者をだしたのは確かなようです。政策の失敗により、大量の餓死者、病死者をだしました。ポル・ポト派の幹部も虐殺は否定していても、政策の失敗は認めています。

 そのほか、カンボジアの内戦とみられていたものが、すべてベトナムとの戦いであったこと。アメリカの侵略を撃退したベトナムがこんどは隣国を侵略というのは苦笑するしかありません。現状はベトナムの傀儡国家になっています。有名なアンコール・ワットの遺跡は管理権がベトナムの企業に委譲されており、観光の利益はベトナムに落ちています。悪者とされるポル・ポト派だけが戦ってきました。だから、悪者にされてしまった部分がかなり大きいのでしょう。

 そしてベトナムの南北差別。テト攻勢で南ベトナム解放戦線は事実上壊滅、北ベトナム軍にとってかわられることになりました。終戦後は、南の肥沃な農地は北の人間に分配さ、南ベトナムの人間は追いだされる形でカンボジアやタイに流入していきました。

 さらに驚いたのは、ODAの資金援助は、日本にキックバックされているそうです。一部着服ってことです。ODAがそんな直接的な利権だったとはびっくりしました。

 湾岸戦争のときも、イラク戦争のときも、危険地帯に入りこむ報道記者、そのために亡くなったひとたちは、バカだと、けっこう国内では批判されてきたけど、いや、やっぱり絶対にそういうひとたちが必要なんだとこの本を読んでいてあらためて思いました。
 報道する側もそれを見る側も、だいたいのひとは真実をもとめているけれど、実際はそうはいっていない。そこで起こっていることを見に行ってくれるひとがいないかぎり、そうはなりえないことなんですよね。

"わたしが見たポル・ポト—キリングフィールズを駆けぬけた青春"
馬淵直城
集英社
2100円
Amazonアソシエイト
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