2007年5月20日

ピーターパン・エンドロール

Amazon.co.jp: ピーターパン・エンドロール: 本: 日日日,中村 佑介 周りとの違和感が大きくなり、すべてに現実味を感じなくなり、いま本当に生きているのかさえわからなくなる。——子どもと大人のはざま年ごろの女の子のストーリーです。

 "本の中で語られるピーターパンの本当の話"ってどこからでてきたものなのでしょう。
 《ウェンディは精神的に成長し、大人になってしまう》 《すると、恐ろしいことにピーターパンの態度が豹変し、ウェンディを殺すために追いかけてくるの。》
 《ネバーランドに子供しかいないのは、大人になったやつから順番にピーターパンが》《チクタクワニの餌にしちゃってたから》
 ネットで原作の翻訳が読めるのでざっと眼をとおしてみましたがそういう記述はなさそうです。→こちらこちら

 ピーターパンについてはこれだけではなくて、じつはこの物語は、虚構(ファンタジー)ではなくて現実(ノンフィクション)なのだといいます。大人になりたくなかったウェンディが、近所のピーターパンという少年とつくった、ごっこ遊びのお話。ウェンディは夢中になっているピーターパンをみて、醒めてしまうわけです。そして、子どもの遊びをやめてしまう。まだ遊んでいたいピーターパンはしつこくウェンディを追いまわす、と。そういうお話だというのです。

 このピーターパンについての話と似たかたちで、この「ピーターパン・エンドロール」も物語が進んでいきます。
 ピーターパンのどの物語も結末は苦いように、この物語の結末も苦いのですが、ひとつ突きぬけて、すがすがしさがあります。ちょっといびつですけれど、よい青春小説です。

"ピーターパン・エンドロール"
日日日
新風舎文庫
590円
Amazonアソシエイト

2007年5月 4日

アンダカの怪造学IV 笛吹き男の夢見る世界

Amazon.co.jp: アンダカの怪造学〈4〉笛吹き男の夢見る世界: 本: 日日日 "変えたい。誰かが血を吐かなくては回転しないこの世界を。"

 こちらとはちがう生物が棲むあちらの世界アンダカ。その生物を呼びだし使役する技術=〈怪造学〉を学んでいる高校生・空井伊依のストーリー第4弾です。

 伊依は、アンダカの生物を"お友達"と思ってますが、まわりの大人たちや同級生も呼びだした生物を"道具"とみています。なにかをさせるために呼びだして目的を終えたら元の世界に戻すのだから素朴にそう思うのはふつうです。しかも、アンダカの生物は強い超能力を持っているので、扱いをまちがえるとかなり危険です。命を落とした怪造学者は多数いて、街ひとつを瞬時に廃墟と化した大惨事も起きています。みな心してアンダカと関わっているわけです。

 シリーズはだんだんと、この伊依の、みんな仲良く"お友達"理論がテーマになっていきます。"お友達"理論を崩れさせていくような事件にまきこまれていきます。そばにいる相手を食いつくすことでしか存在していられない生物が現れますが、そんな生物と仲良く一緒に暮らすなんてことは実際には不可能です。伊依は悩み、挫折し、深く傷つきますが、がんばって立ちあがります。そして、"お友達"理論を改良、みがきをかけていくわけです。

 こういうのっていまの日本にぴったりのテーマなんですよね。
 9.11のテロ事件、アメリカの戦争、北朝鮮のミサイルや核実験による脅し、中国・韓国の過激な反日運動。戦争・防衛について考えさせられる出来事がいくつもありました。
 戦争反対、みんな仲良く、というだけでは、"平和ボケ"と非難されます。前の世代のひとたちのように"平和、平和"といっているだけじゃダメだってことはわかってきています。
 そっちがやる気ならこっちもやったるぜ、ってひとたちだって、戦争のリスクの高さはわかっていて、追い込まれたらやるけれど、そうでなければべつに戦いなんて好まないひとたちばかりでしょう。
 どうしたら平和でいられるか。昔のように御題目をならべるばかりの"平和教"でなく、実践的な平和の手法が求められています。
 そんな時代の空気をきちんと感じとって書いている作品だと私は思います。

"アンダカの怪造学IV 笛吹き男の夢見る世界"
日日日
角川スニーカー文庫
620円
Amazonアソシエイト

2007年5月 3日

そして殺人者は野に放たれる

Amazon.co.jp: そして殺人者は野に放たれる: 本: 日垣 隆 凶悪な犯罪者が、精神鑑定をうけた結果、責任能力なしということで無罪になる——ニュースでよく聞く話です。

 この「責任能力なしで無罪」ってやつ、加害者の人権を守ることばかりに集中しているために被害者と遺族が無視されていると問題になっているようです。
 病気でそうとしらず殺してしまったということならば、それを考慮に入れて判決されるべきだとは思いますが、裁判というのは社会秩序を保つためにあるのだから、被害者無視といわれるようになってしまうようでは問題があります。

 雑誌WiLLでおなじみの日垣隆さんがそのことについて書いているというので、さっそく買って読んでみました。

 WiLLでみる日垣さんは納得いかないことに喧嘩を売る熱血漢です。理詰めで相手のおかしいところを責めていくという、自分としてはいちばん喧嘩をしたくないタイプの人物です。
 この本では、被害者と遺族の視点にたち、裁判に関係する人々の怠慢を責めていきます。
 論点はつぎの3つにまとまると思います。

・心神喪失・心神耗弱の規定があいまいで歯止め無く乱用されている。
・精神鑑定は裁判の証拠にならない。
・精神病質の犯罪者の治療施設がない。

 ひとつめは、基準がほんとうにあいまいで、酒酔いや薬物利用者の犯罪にも適用されています。酔っていたから、ドラッグを使っていたからといって、罪が許されてしまうのはおかしいと思います。他人に薬物を注射されてむりやり犯罪行為をさせられたというのでもないかぎり、責任は負うべきではないでしょうか。
 また、基準のあいまいさから、罪を逃れるための偽装に心神喪失・心神耗弱が利用されていることも本書で指摘されています。

 ふたつめの精神鑑定が裁判の証拠にならないというのは、精神鑑定を誰がおこなうかによって出てくる結果がちがっていることが理由になっています。そんなあいまいなものが、ほかの数々の確たる証拠をさしおいて、裁判の結果を決めてしまうのはおかしいというわけです。

 みっつめなんですが、これはどうしてないのでしょう。病気だからしかたがないといっておきながらその病気をどうにかしようとしないのでは意味がないと思います。それに、専門の施設があれば、治療のフィードバックから精神鑑定の質も大きく変わってくるはずです。みてみぬふり。放り投げて、反省がない。精神障害による犯罪の裁判のすべてを象徴しています。


 現状では、こうした裁判はどんどんでたらめな方向へ近づいていくばかり。精神障害による犯罪者を救済しているようでいて助けてはいないし、精神障害者はみんな危ないんだという偏見を増大させていく一方です。
 よろしくない。
 考えるひと、発言するひとが増えるだけでも、こうしたことが変わるきっかけになると思います。
 ちょっとでも興味があれば、ぜひご一読を。そして発言してください。

"そして殺人者は野に放たれる"
日垣隆
新潮文庫
500円
Amazonアソシエイト