2006年9月28日

バロウズの妻

Amazon.co.jp: バロウズの妻: DVD: ゲイリー・ウォルコフ,コートニー・ラブ,ノーマン・リーダス,キーファー・サザーランド のちに作家となりその時代と後世に多大な影響を残したウィリアム・S・バロウズ。彼が妻を射殺したエピソードを題材に、バロウズ自身とその友人たちのミューズとなったバロウズの妻、ジョーンを描いた作品です。

 この射殺事件は、バロウズを語るときにかならずとりあげられるエピソードで、ウィリアム・テルごっこをしていての事故、つまり妻ジョーンの頭のうえにグラスをのせそれを狙って撃ったのが誤って当たってしまったといわれています。それが本当に事故なのかそれとも故意なのかが話のネタによくなるわけです。

 この映画が愛を描いた物語だけだとするとやや退屈です。とりたてて強いメッセージやテーマもなく、ほかに求心力のある要素がありません。ただ人物が描かれ、彼らの日々を送るだけです。

 でも、監督の強い愛情が映画を成り立たせます。彼が愛してやまなかった作家・詩人たちの物語です。

 映画が記憶になり、ラストで表示されるバロウズたちの実際の文章を眼にしたとき、ぞくっとさせられることになります。

"バロウズの妻"
監督 ゲイリー・ウォルコフ
出演 コートニー・ラブ、ノーマン・リーダス、キーファー・サザーランド、ロン・リビングストン、カイル・セコール ほか
5040円
Amazonアソシエイト

2006年9月27日

ヴァージン・スーサイズ

Amazon.co.jp: ヴァージン・スーサイズ: DVD: ソフィア・コッポラ,ジェームズ・ウッズ,キャスリーン・ターナー,キルステン・ダンスト,ジョシュ・ハートネット 「ロスト・イン・トランスレーション」の前評判の高さは、同監督のこの映画を好きなひとが多かったから、と思っていたんですが、意外と話題にされず、知らないというひともいたので紹介します。

 5人姉妹の物語で、近所の男の子たちがその思い出を語るというスタイルをとっています。
 始まりは、末娘のセシリア(ハンナ・ホール)の手首を切っての自殺未遂から。気むずかしそうな、ゆううつそうな、かつ理知的な顔をした女の子で、この子の個性で導入部は完全にひっぱられていきます。

 映画全体でテーマをうちだしたり、メッセージをつたようとせず、繊細に女の子と男の子たちの状況を形にしていきます。「ああ、そういうのあるよね」というひっかかりから、心に入っていく映画だと思います。自殺を描いているけれど、自殺の映画ではないですよね。

 理屈的には、女の子の自殺の理由もしっかり思いつくけど、でもそれはなにか違うような気がして、やっぱり、わからないというのがいちばん正直で、それを告白する男の子たち。女の子をやっちゃうことだけしか考えてなくてそれが自慢な男の子。熱い愛情をもっていたのにその女の子から離れていく男の子。女の子たちを描いた映画のようだけれど、男の子もしっかり描かれています。

 音楽もすばらしく、メロディーのきれいなポップスで構成されています。どれも明るい曲なんだけれど、どことなく悲しいというか、胸に切なく響きます。

"ヴァージン・スーサイズ"
監督 ソフィア・コッポラ
出演 キルスティン・ダンスト、ハンナ・ホール、ジェームズ・ウッズ、キャスリーン・ターナー ほか
3743円
Amazonアソシエイト

2006年9月24日

フラガール

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 「フラガール」を観てきました。

 蒼井優の出番がたくさんあると聞いていなければ劇場での鑑賞はパスしていたかもしれませんでした。でも、観てよかったです。おもしろかったー。

 ストーリーは、常磐ハワイアンセンター(現在は、スパリゾートハワイアンズ)の設立時の物語。石炭を掘り出す鉱山事業が下降線を描いていた時代、鉱山の閉鎖にともなって大量の人員解雇をしなければいけなくなります。新たな雇用先確保のために考えだされた新規事業がこの常磐ハワイアンセンターでした。これまで鉱山で捨てていた温泉の湯を有効利用して、人工の南国をつくりだそうという計画です。
 中央には舞台をつくり、フラダンスのショーを見せようと、炭坑の町の娘たちから希望をつのってダンスチームを設立します。
 が、もちろん、素人ばかり。鉱山で働いていたひとたちからは裏切者として白い目でみられます。簡単にはいきません。

 コメディタッチのたのしいやりとりで物語は進んでいきます。フラを教える先生として東京からよばれる名門SKD(松竹歌劇団)の元ダンサーとして松雪泰子。いきなり酔っぱらいねーちゃんとして登場です。蒼井優演じる紀美子をフラにさそう親友として徳永えり。えらいことかわいい女の子です。しずちゃんもこれまでの怪物な女性としてのイメージをそのまま利用しての登場。子持ちのおばちゃんでがんばるのを大人計画の池津祥子さんが。プロフィール写真とぜんぜんちがいます。紀美子(蒼井優)の母親役に富司純子さん。昔気質の怖いお母さんです。紀美子の兄に豊川悦司さん。田舎のいいあんちゃん役です。都会派のイメージが強かったんで新鮮でした。こういうクールじゃない役柄の方が映えるんじゃないしょうか。フラのダンスチームを統括する部長さんを岸部一徳さんが。良くも悪くも岸部一徳さんです。

 笑いいっぱいで進みますが、悲しくてつらいことも起きます。でものりこえなきゃ先はない。ちょっとしたことが人間を強くしますね。大きなことなんていらんのですよ。でもね、みんな、その"ちょっとしたこと"がなくて泣くんですよ。
 こういう泣き笑いでたのしい映画が、そんな"ちょっとしたこと"になるといいですよね。

 そうそう、蒼井優、踊りますよー。かっこいい。それに初めて蒼井優にセクシーを感じました。ダンスをたのしむってこれまでぜんぜんわからなかったのですが、フラって観ていてたのしいですね。

2006年9月23日

CURE

Amazon.co.jp: CURE キュア: DVD: 黒沢清,役所広司,うじきつよし,中川安奈,萩原聖人,洞口依子 警報が鳴っている踏切の遮断機をついくぐり抜けていきそうになるような、フラフラっとさそわれる瞬間が、黒沢監督のつくる映画の中にはあります。好きな映画監督です。この「CURE」も"お気に入り"に入れたい映画で、DVDを買ってから、繰り返し観ています。

 ジャンルは、サイコ・サスペンス(一般的に、ゲームのように行われる殺人、殺害方法は猟奇的で、そして人間精神に視点をむけた物語描写が特徴です)。
 被害者には、耳の下から首をぬけて胸もとまで斜めに切り裂き、左右両側、×印を描く深い傷が残っています。加害者はべつべつ。みんなぼんやりしたようになっていて、なぜ殺人にまでいたったか自分でわからなくなっています。そういった事件が連続して起こります。
 間宮(萩原聖人)という記憶障害がある青年がこの事件の本当の加害者として浮かびあがってきます。
彼は医大生で催眠術の研究をしていたようでした。それはまだ魔術として見られていたころの初期の催眠術。彼はなんのためにこんな殺人を犯しているのでしょう。

 リアルな犯罪物に、後半は幻想的な表現が加味されます。全体の雰囲気は壊さず、いいバランスで、昔の探偵小説のような味わいをだしてきます。

 黒沢監督は、ひとつの場面が終わって、登場人物がつぎの動作をしはじめた、というところでカットして、つぎのシーンにつなげることをよくやるのですが、これが残像として累積して不思議な効果をあらわします。

 結末は、少々、わかりにくく、すっきりしません。ここで評価がわかれているようです。小説としての「CURE」も監督自身が書いており、そこには細かい説明があったりもするので参考になるかもしれません。

 とりあえず、わかっておくといいのは、犯人・間宮の催眠術は、憎しみの対象を殺すことによって被験者を癒しているということ。タイトルの「CURE」ですね。だから、各事件の加害者は、あとでどうして殺したのかわからなくなります。ほぼ完全に憎しみが消えてしまったからです。

 なお、現実の殺人では加害者の心はぜんぜん癒されないようです。いくら憎いひとがいても傷つけたりしないようにしましょうね。

"CURE"
監督 黒沢清
出演 役所広司、萩原聖人、うじきつよし、中川安奈 ほか
- 円
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2006年9月18日

X-MEN:ファイナル ディシジョン

 「X-MEN:ファイナル ディシジョン」を観ました。

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 原題の「X-Men: The Last Stand」が、どういうわけか「ファイナル ディシジョン(最終決定)」になっています。映画をみてしまえばわからなくはない題名なんですが、奇妙な変更です。また、役者が来日したおりには、もっともX-MENぽい日本人として、なぜか亀田興毅がゲストに登場。不可解きわまりない演出です。

 このシリーズ、前作、前々作ともにみていないのですが、翻訳されたX-MENのコミックを読んだことがあったのでキャラクターはわかっていたので問題なくみられました。キャラをすぐにつかめるタイプのひとなら予備知識がなくても大丈夫でしょう。人間関係はすぐにわかってきます。思い入れで差がでてきますが。

 X-MENやその敵として登場する特殊能力をもった人間(ミュータント)は、突然変異によって現れるようになりました。偏見もあるし、その能力に脅威も感じていたので、迫害される存在です。
 この映画では、その特殊能力をなくす薬が完成し、望むものであれば無償で投与する決定が米国政府によってなさます。人間を支配しようと考えるミュータントのグループはこれに反対し、実力によってこの薬を根源から破壊しようと試みます。
 これがメインストーリーになります。
 もうひとつ絡んでくるのが登場人物たちの恋愛です。これは映画を観ていれば説明なしにわかるので省略します。
 ロマンスなくしてはなにごともなりたちません。

 満足度は中の上ぐらい。ヒーロー物の「ファンタスティック・フォー」などよりはずっとおもしろいですが、主役級のキャラクターが最初のうちにでてこなくなってしまう展開にどうしても不満を感じてしまいます。
 前作で死んだことになっているキャラがじつは生きていたということになって出てきますが、このシリーズをさらにつづけていくとそういうことの連続になっていきそうです。バットマンのように単発で作るのでないかぎりはもう本当にやめておいたほうがいいと思います。

2006年9月11日

デカローグ第6話「ある愛に関する物語」

Amazon.co.jp: デカローグ DVD-BOX (5枚組): DVD: クシシュトフ・キェシロフスキ,クリスティナ・ヤンダ,ダニエル・オルブリフスキ,グラジナ・シャポウォフスカ 第5話の「ある殺人に関する物語」が再編集されて「ある殺人に関する短いフィルム」という劇場用作品になったのと同じく、この「ある愛に関する物語」も「ある愛に関するフィルム」という劇場用作品になっています。(大まかなストーリーは劇場用の「ある愛に関するフィルム」の紹介記事を参考にしてください)。

 上映時間は58分から87分になっています。ディテールがより具体的に細かくなっています。印象が違ってみえる変更点は終盤です。場面が大きく変わっています。劇場用のほうは青年と女性は実際に言葉を交わすことはありませんが、ドラマであるデカローグのほうではそれがあります。そして、女がふられる形の皮肉な終わり方になっています。劇場用ではふたりの結末はつけられていません。皮肉を排除することでふたりの短い交流がふたりをどう変えるのかに視点がむけられるようになりました。ドラマ、劇場用のどちらにしても、ふたりの恋はこれで終わってしまうのでしょうが、劇場用の結末の方がわたしは好きです。

 また、青年が部屋を借りている友だちの母親と女性の会話があるのですが、デカローグのドラマのほうは友だちの母親のエゴが強くだしたセリフですが、劇場用はエゴをかなり後退させたひかえめなものに変更されています。ドラマでのこのシーンは友だちの母親が女性を拒絶する印象があり、ドラマの結末の青年からの拒絶のイメージを高める相乗効果が得られていました。劇場用ではその必要はなくなりますが、ここのセリフは、青年と友だち、その母の関係が一瞬で理解できるものだったので、あえて省く必要はないと思うのですが、主人公のふたりに焦点をしぼることを優先させての変更なのでしょう。

"デカローグ DVD-BOX (5枚組)"
監督 クシシュトフ・キェシロフスキ
19950円
Amazonアソシエイト

愛に関する短いフィルム

Amazon.co.jp: 愛に関する短いフィルム: DVD: クシシュトフ・キェシロフスキ,グラジナ・シャポウォフスカ むかいの建物に住んでいる画家の女を望遠鏡でのぞく青年と、のぞかれている女。あることがきっかけで青年はのぞいていたことを女に告白することになる。女は当然、怒るが、自分のことを好きだというその青年に少し興味もでてくる。彼がぜんぜん子供で、自分を愛しているというがそんな気持ちは偽物だと思っているが。そして、彼をからかい、愛の正体を彼に見せようとする。彼女がしがみついている愛。孤独をうめるために情事を重ねていた彼女が愛だと思っていたものを。

 立場が逆転するかのような終盤がとてもおもしろく、この展開がなければ、映画は、いくつかの教養をしめしていただけの、つまらない作品に終わっていたことでしょう。

 DVDの解説に、監督の言葉があり、「二人の想いが成就するしないは大した問題ではない。重要なのは二人の成長なのだ」と語っていたそうですが、たしかに、どちらともが、うまくいかない愛を抱えていて(それは愛じゃないかもしれないが)、短い交流で、得たものは大きかったことは感じられます。
 ラブロマンスではないけれど、男と女の愛の映画です。

"愛に関する短いフィルム"
監督 クシシュトフ・キェシロフスキ
出演 オラフ・ルバシェンコ、グラジナ・シャポウォフスカ、ステファニア・イヴィンスカ ほか
3990円
Amazonアソシエイト

2006年9月10日

マイアミ・バイス

 「マイアミ・バイス」をみてきました。

 もともとはテレビドラマで日本でも放映されていました。麻薬の売人などになりすまして犯罪組織に深く入りこんで捜査する刑事たちの活躍を描いています。派手なスポーツカー、(いままでみたこともなかった)スピードのでるボート、大きな家、ショービジネス、コールガール、麻薬組織、金、貧困、銃、暴力、殺人、破滅、ギラギラと輝く脂ぎったアメリカを、毎回、クールな映像でみせてくれていました。

 監督のマイケル・マンは製作総指揮でドラマに参加していたこともあって、キャストもスタッフもまったくちがうであろうこの映画に、ドラマの持っていた雰囲気をうまくよみがえらせてくれています。

 銃撃などのアクションは、あるぞあるぞとたっぷり盛りあげたすえに行くものから、いきなりのものまで、存分に楽しませてくれます。(銃のあつかいはドラマの「マイアミ・バイス」の特徴でもあります。そう思うのはもしかすると日本のファンだけかもしれませんが、日本の刑事ドラマの銃の使い方って西部劇くずれといってもいいものが多かったんですが、ドラマの「マイアミ・バイス」は家に踏み込み時のうごきからまったくちがっていました。壁際を動いていってチャッチャッチャッと死角をチェックしていく。のちのち士郎正宗のマンガなどに見られるようになる捜査官のリアルな銃のあつかいがそこにはありました)。

 そして、敵との手の読みあい。映画でも、ふたりをいつまでもうたぐってかかる人物がでてきます。おなじ裏家業の人間だよといつわって敵のふところまで入っていくのが潜入捜査ですから、ばれたらいいように殺されてしまいます。命がけです。
 犯罪者も犯罪者で、幸せは、一時的な享楽。いつどうなるかわかりません。上にはいあがろうとしてドボドボ落ちていく姿は、よくいえばこんなふうになってはいけないよという教育的な表現といえるのでしょうが、なんだかそう取って付けたようなことはいいたくないなー。この浅ましさに人間の情熱を見てしまいます。

2006年9月 4日

デカローグ第5話「ある殺人に関する物語」

Amazon.co.jp: デカローグ DVD-BOX (5枚組): DVD: クシシュトフ・キェシロフスキ,クリスティナ・ヤンダ,ダニエル・オルブリフスキ,グラジナ・シャポウォフスカ デカローグは、モーセの十戒の言葉を毎回のテーマとした10話構成のテレビドラマです。

 5話目は再編集され劇場作品「ある殺人に関する短いフィルム」になっています。

 テレビ版と劇場版の違いは、劇場版には、念願の弁護士になれた男がバイクにのって恋人に会いにいくシーン、ひとを殺した青年がうばった車で女の子に会いにいくシーンが追加され、弁護士のセリフに変化があり、止めた車の中で弁護士が慟哭するラストも、テレビ版では怒りを表していましたが劇場版では放心状態で涙をながしている映像に変更されています。
  そのほか全体的に場面場面も長くなっていますが、トイレのシーンの最後が早めに切り上げられていたりテレビ版にあっても劇場版ではなくなっている映像もあります。

 弁護士の場面の変更がテレビ版と劇場版の印象を大きく変えています。
 テレビ版の弁護士は、犯罪の抑止力としての死刑に反対を強く表明しており、初めて担当する事件の被告人が死刑となってそれに対してラストで怒りをあらわにしていますが、劇場版ではそれがなくなっています。
 「死刑も殺人もひとを殺すということではおなじではないか、どんな理由があっても殺人はいけないというのなら死刑もいけないはずだ」という見方だけでこの映画を観てもらいたくはないということなのでしょう。

"デカローグ DVD-BOX (5枚組)"
監督 クシシュトフ・キェシロフスキ
19950円
Amazonアソシエイト

2006年9月 3日

殺人に関する短いフィルム

Amazon.co.jp: 殺人に関する短いフィルム: DVD: クシシュトフ・キェシロフスキ,ミロスワフ・バカ ひとを殺すことは計画していたが、相手はたまたま。タクシー運転手を殺した青年と、弁護士になって初めての事件の被告が死刑になったことに動揺する弁護士の物語です。

 強くテーマを押しださないため、「なにをいいたいのかよくわからない」という感想を述べられるような方には向いていない映画です。
 それはおそらく、(テーマとして)"モラルに興味がない"と発言していた監督の特徴でしょう。モラルか反モラルかどちらかを打ちださないと、だれもなにもわかってくれません。

 映像は四隅が暗く、色も黄いろと緑が強調されています。
 なにかを暗示するような不思議な人物がちょっと登場するのも特徴です。

 この映画の元となっているのは10話構成の「デカローグ」というテレビシリーズです。これは第5話になります。自分はこのDVDをたまたま手にしたのがキェシロフスキを知ったきっかけでした。このあと、デカローグ版のほうを見なおそうと思います。映画の長さは85分、ドラマは57分です。

"殺人に関する短いフィルム"
監督 クシシュトフ・キェシロフスキ
出演 ミロスワフ・バカ、クシシュトフ・グロビシュ、ヤン・テサシュ ほか
3990円
Amazonアソシエイト

グエムル 漢江(ハンガン)の怪物

guemuru.jpg きのう、「グエムル 漢江(ハンガン)の怪物」を観てきました。

 廃棄した薬品が下水から漢江に流れ、数年後に奇形した生物が怪物(グエムル)となって現れます。

 怪物がはじめてはっきり姿をあらわし、人々を追いかけまわすシーンがとてもよかったです。
 怪物が正体をあらわすときはがっかり"させられてしまうのがつねで、それは怪物の影や画面をよぎる一部分などから想像をたくましく、ものすごい姿を思い描いていて、その幻想が壊されてしまうからです。
 この映画でも、その姿をみて、けっこうちゃちぃと思うのですが、その後のうごきがよく、"がっかり"をカバーしてくれます。

 怪物は食べきれなかった人間をとっておくんでしょうか。いったん飲みこまれたものの死なずにいた少女ヒョンソはつながりにくい携帯でやっとのこと父親に自分が生きていることをつたえます。このお父さんは親の売店を手伝っているだけ、それも居眠りばかりしている店番で、だめだめな男なんですが、娘のためには一生懸命になります。しかし、怪物は突然変異で、ウィルスを持っているということになったので、現場にいた人間はみな、病院に隔離されています。このお父さんの家族、父親(ヒョンソの祖父)、弟、妹とともに病院を脱出し、ヒョンソ救出へとむかいます。

 コントのようなやりとりで笑いをさそう家族なんですが、それだけにシリアスな場面はきついです。

 この家族、弟は大学卒のフリーター、大学時代は軍事政権にたいする民主化のデモばかりやっていたようです。韓国の現在を反映した人物設定です。
 そのほか、医者のトップはアメリカ人でだれも頭があがらなかったり、韓国政府が事態の収拾に手間取ると当然のように駐留米軍が指揮をとったりと、韓国の現状をきっちりと映画にとりこんでいるようです。
 とくに社会派のテーマを選んで真正面にがつがつ批判する映画にしなくても、作り手がふだん接している物事や意識していることは、(嫌でも)自然と作品に反映されます。
 とはいえ、怪獣映画というのは伝統的にばりばりな社会派ですけれども。