ディパーテッド
物語には、"頭"と"腹"があって、"頭"は単純にテクニックとアイデアです。"腹"は、なにをどう描くか、作者の内面にかかわってくる部分です。結末をハッピーエンドにすればもっとウケるだろうけどそうはできない、とか、ひとが死ななければそれは私の作品ではなくなる、とか、そういう計算だけではいかない部分、作者の情念や怨念に関わってくるところです。
「ディパーテッド」は、すでにある映画のリメイクです。頭は最初からあるわけです(直接は「インファナル・アフェア」で、間接的には「グッドフェローズ」。「グッドフェローズ」は仲間をFBIに売ったマフィア幹部のストーリーです)。腹は、主人公ふたりの行動です。
主人公のひとりは、マフィアのボスに親代わりに愛された青年で、警察に入り、特別捜査班に配属されたコリン・サリバン(マット・デイモン)。マフィアに警察の情報を流しています。もうひとりは、コリンと同時期に警察に入り、マフィアの一員になりすまして警察に情報をおくる潜入捜査官となったビリー・コスティガン(レオナルド・ディカプリオ)です。
コリンは自分ですべてを動かこそうとする野心を徐々に育てはじめます。天才肌の青年によくある自信過剰さは特になく、案外、小心者です。ビリーは、自分の一族に裏社会で生きる人間ばかりなのに引け目を感じています。マフィアに潜入していることがばれて殺される恐怖とともに、自分の"血"についての考えが大きなプレッシャーとしてのしかかってきてつぶされそうになります。
コリンは、真実の"愛"も、いつわりの"善"とおなじように、きれいごととして失い、ビリーは、求めている"善"が得られずに苦しみながらも、なお追い求めます。
この選択は、小さいものならば誰の生活にもあるものです。映画では、どちらを選ぶかは問われず、ただふたりの人生が突きつけられるだけです。
あからさまにどちらというと野暮ったくなって格好悪いからそういっていないだけで、やはり、現実のわれわれはコリンのようになりがちだけれども、懸命にビリーのように生きるべきだといっているわけですが。


