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2009年8月24日

参議院なんかいらない

参議院なんかいらない (幻冬舎新書) (新書)  元参議院議員で論客としてならしたベテラン3人による対談です。理屈よりもまず実際にあったできごとが語られ、いまだから話せる裏話やスキャンダルもちりばめられ、とてもおもしろく読んでいけます。たのしみながら、一般的な報道では見えてこない政治の実情を知ることができる読み物になっています。

 小泉純一郎によって殺された参議院。郵政民営化法案が参議院で可決されなかったら衆議院を解散する、という、議会軽視、手続き無視によって、選挙を行い衆議院で3分の2以上の議席を確保し強大な力を得ました。
 手続き無視ってことは、民主主義を無視ってことなんだよ?
 なんでこんな人がまだ人気者なんでしょう? 完全に独裁者ルートですよね。しかも、大企業のための政策ばかりですよ。むち打たれてひーひー言わされてキャーキャー歓声あげてるなんて、ホント、どんだけだよと思う。

 だめになったとはいえ、そんな参議院を、どうにかしようという提言も後半になされています。
 小泉政治のような、わーっと流されていってしまう民主主義の欠点を補う役割、政治のプロとしての役割(子供の無駄遣いなどをたしなめる親のような存在。みんな楽しい方がいい、難しいより簡単な方がいい、好きなことだけしたいからね。でもそれだけじゃあダメになっちゃう、それをいわなければいけないひとが必要なのだ)をどうしたら担うことができるのか。
 理屈は考えて言ったりできるけど、具体的にいまの参議院をどうしていったらいいかを言うのは難しい。そのためのよい参考資料になると思います。

"参議院なんかいらない"
村上正邦、平野貞夫、筆坂秀世
幻冬舎新書
756円
Amazonアソシエイト
オンライン書店ビーケーワン

2006年10月18日

2chで学ぶ民主主義

 ディズニーのスキャンダル記事をのせたブログが、ディズニーの圧力でつぶされたという話がこのあいだ一斉にひろまりました。そのブログは一時はたしかに閲覧できませんでしたが、いまはふつうに見ることができます。ただの噂だったのか、それともブログのサービスを提供しているライブドアがディズニーに文句をいわれてあわてて該当のブログを閉鎖したが、反響がものすごかったので、またあわてて再開したのか、実際どうだったのかわかりません。

 2chは煽動を受けやすく、大勢が一斉に同じ方向へ動くことが多々見られます。ディズニーの記事の件も実情がどうであるかは知らないまま話をひろめていったひとがたくさんいました。郵政解散・総選挙のおりには、小泉陣営の戦略にまんまとひっかかって、小泉独裁のお手伝いをしていました。

 テレビや新聞を無批判に見ているひとたちをよくあげつらっている2chのひとたちも別の部分ではおなじように物事をあまり考えず流れにのまれてしまっています。

 多数意見だからといって正しいとはかぎらないということを2chをよく利用しているひとなら身をもってわかっているでしょう。

 だから発展途上国や元共産圏の国が民主化されるということになっても、それ以前の政治体制より、状況が悪くなってしまうことがあるのも不思議ではありません。

 国家権力の恐ろしさを批判するひとはよくいますが、われわれも恐れたほうがいいんです。

 2chでみられる欠点は(利点は)、民主主義にもあります。
 よーく、肌で感じてみましょう。

2006年8月26日

それは"民主主義"なの?

 雑誌エスクァイア10月号の書評のひとつにちょっと疑問を持ちました。

 対象となっている本は高嶋伸欣「拉致問題で歪む日本の民主主義」で、書評のタイトルは「不平等なメディアによって壊れゆく民主主義」となっています。対象となっている本は眼を通していないので何の意見もいいません。書評に対してのみです。

 オウム真理教のテロ事件を契機に、危機管理意識が高まり、また国民には被害者感情が形成、共有されるようになった。そして、突然のミサイル発射に、経済制裁を加えるべきだという論調がメディアに浮上。一部の政治家は先制攻撃を主張。国民もそれを支持した。「何と短絡的で好戦的な国なのだろう」という本の著者の意見に同意。でも、制裁以前に、2002年から北朝鮮への食料、衣料品の人道援助は停止されており、その制裁の帰結によって、大勢の子どもや老人、病人が命を失っているかもしれないが、それはメディアで報道されない。拉致家族のスポークスマン的存在である蓮池透氏がなぜ沈黙してしまったかも報道されない。一方的に、拉致被害者という存在を掲げて大政翼賛的な報道をくりかえしてると批判しています。

 まず、短絡的といわれれば短絡的。先制攻撃とまでいわれれば、それは行き過ぎだけれども、米国なんかは実際に理由をでっちあげてでも攻めていってしまいますが、日本ではそれはあくまでも"意見"だ。ぜんぜん攻めてなんていってない。
 それ以前には、国会議員によって「日本人の拉致なんてでっちあげだ」とまでいわれていたのが、拉致被害者の家族や協力者(たとえば兵本達吉さん→こちらの著書)の努力によって、ようやく拉致の実体がわかってきたのではないか。

 自分たちの意見が多数派から少数派になったから民主主義が壊れたというなんておこがましいにもほどがあります。その意見にこそ、民主主義が存在しません。

 しかし、メディアの偏向、一方から一方へと傾れ(なだれ)を打つことに対しての批判には賛成します。メディアに偏向があるのはもう常識になってもいいように思います。やはり、なにかの意見をもっているひとがやっているのですから、意見にそった形になるのは避けられないことじゃないですか。

2006年4月 1日

民主主義のほにゃらら

 あるていど意見がおなじでなければ民主主義は機能しないっていうのは盲点。

 ネットの議論では、民主主義(とか平等)って万能の斧のようにふりまわされるけど、ほとんどこいつは機能しないで、その名の下にべつのことがなされていたんじゃないかと思う。あつかいしだいでかなり危ないやつなんだよね。